早大合格への道8 | 昭和・足立区DAISUKI!

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生まれも育ちも足立区。
昭和から60年暮らす足立区が好き!!

昭和を振り返り、生涯で忘れられない受験生活。
苦い経験を1月から語っております。
それでは続きです。

1981年7月。
世間では「ルビーの指環」がはやっていた頃、いよいよ夏を迎えて模擬試験が始まりました。
11月まで自分の通う予備校で毎月おこなわれるものだけでなく、代々木ゼミナールが開催し一般高校生も参加する他流試合にも出かけて、いろいろな大学の教室での場慣れ訓練とともに、いろいろなテストの問題傾向も知らなければなりません。
夏の時点では、予備校生と一般の現役生では実力にすごい格差がありました。

ちなみに1981年はマッチが歌手デビューした年で、「サンセットメモリー」「万里の河」「メモリーグラス」「少女人形」「白いパラソル」「ひとり上手」「愛はかげろう」「みちのくひとり旅」「もしもピアノが弾けたなら」などの名曲がヒットしました。
忙しくても歌謡曲はしっかりチェックしていたので、これらの曲を今聴くと苦しかった浪人時代を思い出し、とてもせつなくなります。

ところで毎日14時間、いったい何を勉強するのか疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。
東大に入るような頭脳明晰かつ知能指数が高い人はともかく、平凡な者が難関大学に合格するには勉強する時間数が多いに越したことはありません。しかも集中し、効率良く、受験大学の問題傾向に合わせた対策をしたい。
そして各自の能力、つまり頭の程度が一番の問題で、あとは健康と運と要領です。

パソコンを扱っている人はわかると思いますが、機器によって記憶する量、処理範囲と深さと速さがピンキリですよね。
人の頭脳も当然、同じことをしても差が出ます。
これが東大に入れるか、それとも二流、三流大学になるかの差となるのは否めません。時間をかけようが、予備校に行こうが、家庭教師をつけようが、限界というものがあります。この限界を、日々勉強しながら悟ることも大切です。

模擬テストを重ねてくると、自分の実力、全国における位置、得意不得意、問題のクセなどいろいろなことがわかります。秋から冬には問題集をやって知識と理解を深め、欠点を徹底的に埋めていきます。
つまり、春から夏までに理科と社会の教科書と参考書を一通り、できれば二回三回と読破して、基本を頭に入れておきたいのです。
拙者の場合、高校三年修了時に日本史の授業は明治維新までで終わってしまったので、まず現代まで終わらせることが先決でした。春のうちにさっさと終わらせ、夏までにもう一通り、秋までにもう一通りやりたい所。山川の「詳説日本史」と史料集、参考書「大学への日本史」を繰り返しみっちりと読み込みました。

現代国語、古文、数学、英語は問題をたくさん解き、レベルを上げていきたい。国語と英語は単語力をつけ、速く深く読み込む力がつくかどうかがポイントとなります。超一流大学の試験は問題数が多いし、本文が長くて難しいのです。
それと、予備校の私大向け授業では「国語融合」という科目がありました。これは私大でよく出題される「古文を解説した現代文」をみっちり勉強するのですが、これをやるのとやらないのとではまったく違います。
また、0点はとらないけれど100点は取れない「水もの」の現代国語の問題の解き方も細かく教えてもらいました。どこに目をつけ、どう答えるのか。こんなことは高校では教えてもらえませんでした。

受験者が合格者の20数倍の所で難しい問題の8割を正解するには、12月からは細かい点まで詰めに詰めていきます。出題者の意図をつかみ、何をどう答えれば良いのか徹底的に訓練します。
1月になると予備校では直前ゼミがあり、拙者は最後まで出席しました。
生徒が黒板に答えを書く、講師が添削し解説します。
家では赤本で受験大学の過去の問題を繰り返しやります。
もはや猶予はありません。
もし学習の手を緩めて不合格にでもなったら、悔やんでも悔やみきれません。

もしできれば受験大学の下見もしておきたい。
拙者は共通一次の受験会場となった東大の本郷キャンパスと、早稲田大学に一度足を運び、写真を撮影してきました。東大の安田講堂と、早稲田の大隈講堂と大隈重信像の写真を見ながら自分を奮い立たせたのです。
 

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