早大合格への道3 | 富良多慶喜の部屋

富良多慶喜の部屋

テレビ・旅・グルメ・大相撲・カラオケ・株式・ラジオ
葵の御紋・京都・自由・FIRE

昭和を振り返り、生涯で忘れられない受験生活。
苦い経験を先月から語っております。
それでは続きです。

高校一年秋の文化祭以降、帰宅部員となり、毎日宿題と予習復習にいそしんだのですが、特に苦労したのは次々に出てくる訳のわからない英単語でした。
大学合格時でも4000語くらいしか覚えていなかったと思います。
「出る単」でも「豆単」でも良いですから、覚えやすい方法を見つけ、よく使われる単語を繰り返し要領よく覚えるしかないと思います。

物理の赤点をどうにか免れ、高校2年になりますと、数ⅡB、生物、倫理社会、そして難物の世界史をこなさなければなりません。世界史は興味がないうえ、膨大な暗記が必要なだけに苦労しました。今振り返ってもよくわかりません。

世界史は、本来政治経済担当の先生が、大学受験時の選択科目で得意だったことから受け持ちに。早稲田大学政治経済学部出身だけに秀才で当時まだ20代。後に私が早稲田大学に入ったことから先輩となります。



高校2年の時、TBSドラマ「3年B組金八先生」が秋から春にかけて人気を呼び、1980年春に番組が終わるとエンディングテーマ曲「贈る言葉」が大ヒットしました。
この曲は恋人たちの別れ・失恋の曲ですが、この番組からヒットしたため卒業ソングだと勘違いされ、未だに卒業の季節になると歌われています。人のイメージって怖いなとつくづく思います。
ドラマの舞台はわが足立区の中学校で、たのきんトリオらのスターを輩出しました。私の出身高校からそんなに遠くない荒川放水路河川敷などでロケがおこなわれました。

この年次では、息抜きに毎週TBS「ザ・ベストテン」を見ていました。
「愛の水中花」「きみの朝」「夢想花」「異邦人」「SACHIKO」「大都会」などの名曲が生まれました。
岸田智史さんは1979年春から出演したドラマ「愛と喝采と」の挿入歌であった「きみの朝」のヒットで、次に出演を予定していた学園ドラマの主役を武田鉄矢さんに譲ったため上記のようなことになりました。

この頃、私は演歌にも目覚め、ヒットしていた「みちづれ」「北国の春」「花街の母」などを覚えて口ずさんでいました。
この年に聴いた歌は今でもフルコーラス歌えますが、英単語は覚えられないのに、歌詞は覚えられるのですから困ったものです。
また、ストレスがたまると模様替えをする悪い癖がありました。
今思えば実に無駄な時間であり、大して変わらないのに机の向きを変えてみたり、動かしてみたり。懐かしい話です。

三年生になると、待ちに待った悲願のクラス替えで、ナント奇遇なことにB組になりました。まさに3年B組。びっくりびっくりの出来事でした。



↓応援のバナークリックをお願い申し上げます

にほんブログ村 歴史ブログ 現代史 戦後(日本史)へ
にほんブログ村