両毛線は、栃木県の小山駅から群馬県の新前橋駅まで北関東の諸都市を結ぶ、全長84.4kmのJR鉄道線で一部を除きほぼ単線です
5世紀のはじめ頃、群馬県と栃木県は毛野国(けぬのくに)と呼ばれてましたが、
その後、上毛野(かみつけの)と下毛野(しもつけの)の2国に分かれ、この上毛野と下毛野にまたがる地域が「両毛」と呼ばれています。
大人の休日倶楽部の割引乗車券を使って、
横浜→小山→両毛線→高崎→渋谷のひと筆書きルートの両毛線途中下車の旅に出かけました。
最初の訪問地は蔵の街栃木、
小山駅で両毛線に乗りJR栃木駅で下車
最初に訪ねたのは、栃木駅から歩いて約10分の巴波川橋畔にある「蔵の町遊覧船」乗場
待合処で乗船券を買って、ライフジャケット(大人は任意)を着用し乗船時間を待ちます。
※乗船後に知ったのですが、巴波川の水深は浅く大人の腰にも届かないとのこと😅
遊覧船の始発は午前10時、乗船客は私1人、
船頭さんが竿さす遊覧船で巴波川を上ります。
一つ上流の幸来橋から先は水深が更に浅くなるそうで遊覧船は引返し下流に向かいます。
巴波川は上流の湧水が流れ、川底が見える澄んだ川でしたが、
湧水が枯れてからは栃木市の東を流れる思川の水を引いており水は濁ってました。
巴波川橋の下をくぐると川幅が広がり、遊覧船を見つけ餌をもらいに鯉が寄って来ます。
冬場は100羽ほどの鴨がいるようですが、ほとんどは北に帰り居残りカルガモが一羽
20分ほどの遊覧を終えて下船すると、次の便の乗客が乗り込んでました。
船から眺めた蔵の街の岸辺を散策しました。
巴波川橋から幸来橋までの左岸に、材木廻船問屋を営んだ豪商塚田家の屋敷や蔵が並びます。
蔵の町遊覧船を楽しんだ後、重伝建・栃木嘉右衛門町に向かって蔵の街に点在するレトロ建築を訪ね歩きました。
蔵の街観光館(元荒物・麻苧問屋の見世蔵)
蔵の街市民ギャラリー(通称おたすけ蔵)
栃木中央クリニック(大正2年築旧栃木病院)
栃木中央クリニックの洋館を過ぎると、日光例弊使街道沿に重伝建・栃木嘉右衛門町の歴史的な街並みが続きます。
日光例弊使街道とは、京都の朝廷から日光東照宮へ弊帛を奉納する勅使が通る道のこと。
京都から中山道を下り、太田、佐野、栃木、金崎を通り日光に至ります。
例弊使街道栃木宿は、東照宮参拝の西国諸大名も通りおおいに賑わってました。
嘉右衛門町は17世紀初め頃、岡田嘉右衛門が開発した嘉右衛門新田村が起源。
例弊使街道沿いにある岡田記念館、かつては旗本畠山家の陣屋で代官屋敷とも呼ばれました。
江戸時代には名主役、本陣、代官職代行を勤めた岡田家ご当主は、代々嘉右衛門を名のり現当主は26代目とのこと。
巴波川沿の岡田家翁島別邸には四季の花々が咲く美しい庭園があります。この日は休館日。
嘉右衛門町の中ほどの味噌工場跡地が観光・まちづくり・防災の拠点施設として整備され、
民間の店舗・シェアオフィス「KAMON BASE」や伝建地区の観光案内所となる「ガイダンスセンター」が開館してます。
例弊使街道を北に歩くと、1781年創業の老舗味噌専門店「油伝味噌」があります。
長期熟成した天然味噌を使った田楽を店内でも味わえます。
爽やかな風が通る土蔵前のテラス席で、上新粉の味噌焼き餅(五平餅風)とクラフトビール😋
昨年から油伝味噌ではクラフトビールの製造を始め、工場で出来たてのビールを店内で味わうことができます。
栃木駅から足利駅に向かう途中、佐野駅で下車しました。お目当ては佐野ラーメン🍜
駅構内の観光案内所には、佐野ラーメン会加盟店のラーメンサンプルがズラリ並んでます。
がー、駅近くの加盟店はどこも閉まってた😨
そこは🐽鼻を効かせて裏通りを探し、暖簾が出てる町中華を見つけました。
この店は佐野ラーメン会に入らないアウトロー?
こんな反骨の町中華は大好きです🤣
店内に入ってびっくり‼️油で煤けたメニューのラーメンの値段は400円、昭和の値段です。
佐野ラーメンの特徴は、青竹手打ち麺。
醤油スープが基本だがバリエーションあり。
具は焼豚、メンマ、ナルト、刻み葱が基本だがお店の特色を出すためトッピングは様々。
改めてこの町中華のラーメンを鑑定すると、
スープは濃いめの醤油味、焼豚・メンマ・ナルト・刻み葱、焼豚のサイズはお値段を反映😆
麺は「青竹手打ち麺」とうたってないのが、
佐野ラーメン会非加盟店の所以か?
昭和感あふれる佐野市最安値の町中華のラーメン、それなりに美味しくいただけました😋
正統派佐野ラーメンではないかもしれないが、
「佐野でラーメン」を食べました。
佐野駅のすぐ北側に佐野城址があり、次の電車までの間に高台の本丸跡まで登りました。
本丸跡にはそれらしき遺構はなく、元は石垣だった岩が点在してました。
次の電車までの1時間でラーメン食べて城跡に登る佐野駅途中下車でした。
佐野駅からこの日泊まる足利に向かいました。