「茅渟の海」を巡る旅の最後は、関西のブロ友さんと一緒に住吉大社から安倍晴明神社までの旧熊野街道を訪ねました。


熊野街道は、淀川の渡辺津(天満橋近く)を起点に上町台地を南下し、四天王寺や住吉大社を経て和泉の国に入り、熊野三山に至る古道です。

熊野詣が盛んになった平安後期から鎌倉時代にかけて整備されました。


堺で泊まった翌日は、阪堺線を北に住吉大社に向かい、住吉鳥居前で下車しました。

住吉大社は小学校の遠足以来70年ぶりの訪問。


住吉大社の参道・汐街道に「遣唐使進発の地」の石碑があります。

遣唐使船は、住吉大社で海上安全の祈願を行い

海の神の「住吉大神」を船の舳先に祀り、住吉津から出発しました。


汐街道沿にある芭蕉句碑も訪ねました。


芭蕉は元禄7年(1694年)、住吉大社の宝之市神事に詣で、門前の升の市に立寄りました。

『升買て 分別かはる 月見かな』

参詣のあと体調を崩し、ともに月見ができなかったことを詫びた句、

1月後、芭蕉は南御堂近くで没しました。



住吉大社のシンボル太鼓橋、渡る人がいないタイミングに撮影できました。

太鼓橋を渡り住吉大社本殿を参拝します。

手水舎の吐水口はうさぎ、住吉大社ではうさぎは神の使いとされてます。


住吉大社の本殿は「住吉造」と称される神社建築の最古の様式です。


4棟ある本殿は西向きに建てられ全て国宝です。

神功皇后を祀った第四本宮と第三本宮は横並びに建てられ、第三本宮、第二本宮、第一本宮が直列に並ぶ珍しい配置です。

初詣やお田植え神事の時は人で溢れる住吉大社の境内は静寂そのものでした。


住吉鳥居前から北畠まで阪堺線に乗り、旧熊野街道を歩きました。

少し歩いた晴明丘公園に経塚跡の石碑があり、

「摂津名所図会」に描かれた阿倍王子神社後方の「大名塚」は北畠顕家の墓と伝わってます。


渡辺津から熊野までの街道沿には、熊野権現を祭祀した「九十九王子」が設けられ、参詣者は参詣道中の無事を祈念し旅しました。


大阪・阿倍野の鎮守社、阿倍王子神社は熊野三山の末社で「熊野九十九王子」の一つ、

他の王子社は近くのお宮に合祀され旧地に石碑が残るだけですが、

阿倍野村の氏神様だった阿倍王子社は併合を免れ、府下で唯一の旧地に現存する王子社です。


阿倍王子社近くの熊野街道沿に「安倍晴明神社」があります。

ここは安倍晴明生誕地と伝承されてます。

境内には安倍晴明像、安倍晴明公産湯の井跡、葛之葉姫図の石碑が並んでました。

安倍晴明の母として知られる葛之葉姫は信太の森に棲んでいた狐でした。

和泉市にある信太森神社には葛之葉を祀る小さな祠があります。


人通りもまばらな旧熊野街道、平日でも安倍晴明ゆかりの地を巡る人が次々と訪れました。


安倍晴明神社から旧熊野街道を北に歩き、

松虫通りを東に10分ほど歩くと昭和町駅前。


ここに昭和初期にタイムスリップしたような「寺西家住宅&寺西家阿倍野長屋」があります。

寺西家住宅の主屋は大正15年(1925年)に建てられ来年は築100年を迎えます。

寺西家阿倍野長屋は昭和7年築、平成15年に改装工事されました。共に登録有形文化財です。


阿倍野長屋にもお洒落な店が入ってますが、今回は寺西家住宅の敷地の一角に建てられた飲茶店でランチしました。


前日の同窓会で親友に、明日は昭和町の寺西家住宅でランチする予定と話たら、寺西夫妻とは同級生でここで食事したと言われてビックリ!


この辺りも高等学校の校区内なので前日の同窓会にはこの近所にいた人が何人もいました。

古い町家の雰囲気を壊さないシンプルなデザインの店内で飲茶ランチをいただきました。

前菜と点心6品にメインの香港焼そば、大根餅がとも美味しかった。

寺西家住宅は現役のお住まい、大阪の下町の風情が残る素敵な世界でした。

寺西家住宅のある昭和町から松虫通りを10分ほど東に歩くと桃が池公園があります。

中高時代に通ったチンチン電車平野線の車窓から桃が池をよく見てました。


平野線は廃線になりましたが、停留所跡や桃が池に中高時代の思い出が蘇りました。


桃が池近くのJR南田辺駅から天王寺駅、新大阪駅と乗り継ぎ3泊4日の旅を終えました。


【追記】

同窓会の翌日に寺西家阿倍野長屋を訪ねた事をメンバーに報告したら、


寺西さんの同級生が寺西家長屋誕生の裏話の新聞記事を早速送って来てくれました。

老朽化した長屋を賃貸マンション建替える考えもあったが、登録文化財にして宮大工に改修してもらったら、お店をやりたい人が何人も現れて今の姿になった。


古い建物を残せて、しかも賃貸マンションにするより高い賃料が入り、莫大な建設費の借金を抱えることもなくなった、とのお話。


地方の街並み保存の話ではなく、都会のど真ん中の街並み保存、この旅の一番の収穫でした。


ちなみに点心屋さんはご子息の店でした。