同窓会が開催された尼崎市には、戦国時代の武将荒木村重ゆかりの尼崎城があります。

戦国末期、織田信長が天下統一を目指した頃、荒木村重は摂津を任され、伊丹の有岡城、尼崎城、神戸の花隈城を拠点にしました。



◾️ 尼崎城

織田信長に反旗をひるがえし、有岡城で籠城した荒木村重は妻子を残し尼崎城に入りました。


妻子を見捨てた卑怯な逃亡と言われてますが、

毛利からの兵糧拠点で嫡男が守る尼崎城救援に向かったという説を信じたい。


有岡城と花隈城は石垣の一部を残すだけですが、


江戸時代初期に幕府の命で築城された尼崎城は、明治維新で廃城となりましたが2018年に天守閣(模擬天守閣)が再建されました。

※荒木村重時代の尼崎城跡はよく分かりません。

尼崎城は阪神電車尼崎駅から歩いて5分ほどの場所にあります。

尼崎出身で家電量販店旧ミドリ電化(現エディオン)創業者安保詮氏が私財約10億円を投じて天守閣を再建し、尼崎市に寄贈しました。

日本で1番新しい天守閣の内部は、VRシアターや各種体験コーナーもある展示館になってます。



尼崎駅から篠山口駅に向かうJR福知山線を伊丹駅で途中下車しました。


◾️ 有岡城址

JR伊丹駅西口のすぐ近くに有岡城跡があります。


荒木村重反乱の折、説得に来た黒田官兵衛を土牢に幽閉したのがここ有岡城でした。

官兵衛が幽閉された土牢の痕跡は残ってませんが、有岡城跡に官兵衛ゆかりの藤があります。


幽閉された土牢から見える藤の花に官兵衛は勇気づけられ、藤の花は黒田家の家紋となりました。


有岡城は南北朝時代から伊丹氏の城でしたが、

伊丹氏に代わって城主となた荒木村重が有岡城と名を改め、総構えを持つ城に大改造しました。

織田軍の猛攻で陥落した有岡城は、豊臣秀吉の時代から大名が置かれず放置され、江戸時代には地元の人から「古城山」と呼ばれました。


有岡城総構えの1番北側にあたる場所に猪名野神社があります。


7世紀前半に尼崎市猪名寺の地で創建され、

延喜4年(904年)に現在地に遷座されました。

荒木村重が伊丹城を総構えの有岡城に大改造した際に猪名野神社も取り込まれ、

神社の境内に有岡城最北端の砦が築かれ、今でも境内西側に総構えの土塁跡が残っています。


有岡城は捨て去られても、伊丹の城下町は酒造りで栄えました。


明治時代にはJR宝塚線の前身の鉄道が敷かれ、

主郭部の東半分は跡形もなく失われました。



■ 旧岡田家住宅・旧石橋家住宅

酒造りで栄えた旧有岡城惣構の町屋地区に全国的にも数少ない17世紀の町屋が残っています。

旧岡田家住宅は、延宝2年(1674年)に建てられたもので、兵庫県最古の町家です。


この建物は伊丹の酒造家松屋与兵衛が建て、その後所有者が何度か変わり、明治33年に所有した岡田家が昭和59年までこの地で酒造を続けました。


ちなみに暖簾の三つ鱗は松屋与兵衛が醸造し江戸に送った「松緑」の商標でした。

写真中は創業時に建てられた表の店舗

写真下は正徳5年(1715年)頃に建てられた酒蔵、

この空間を使ってコンサートも開催されます。


表の店舗と奥の酒蔵の間の釜場の棟は後から建てられました。


明治の中頃、薪を燃やす石積に粘土を貼った釜場が石炭を燃やすレンガ積の釜場に代わりました。

釜場の遺構横に大釜や当時の道具が展示


「丹醸」とは、伊丹で醸造され江戸に送られた清酒のブランド名、今は灘の酒になった「剣菱」のラベルには丹醸の文字が残ってます。

ちなみに「男山」も元は伊丹の酒でした。

今でこそ日本三大酒は、灘と伏見と西条ですが、江戸期は蔵元が72あった伊丹が一大産地でした。


旧岡田家住宅隣りに移築された旧石橋家は江戸時代後期の商家、建築当初の店構えを残してます。

旧石橋家の座敷から市立伊丹ミュージアムの重森三玲作庭の日本庭園が見えます。

常設展示室には伊丹の歴史に関わる資料が並び、酒造で栄えた伊丹郷町のジオラマがありました。



◾️ 小西酒造「白雪」

現存する日本最古の清酒銘柄が伊丹の「白雪」

小西酒造の古い酒蔵をリノベーションした長寿庵レストランでランチしました。


2階は酒造り道具のギャラリー

1階がビヤレストランになってます。


茅ヶ崎の熊澤酒造は湘南ビールを出してるけど、古い酒蔵でクラフトビールを醸造するのが流行?

幕末の蘭学者川本幸民がペリーの黒船で飲んだビールのレシピを忠実に再現した「幸民麦酒」と

ワンプレートランチ


有岡城址や城下町を散策し、酒蔵でランチして、

伊丹駅から福知山線で篠山口駅に向かいました。

横浜市内(新横浜)から篠山口までの乗車券、

尼崎駅と伊丹駅で途中下車しました。