京都・滋賀の重伝建を巡る旅の4日目は、

早朝の人の少ない時間に祇園新橋伝建地区と産寧坂伝建地区を巡り、

午後は嵯峨鳥居本伝建地区を訪ねました。


嵯峨鳥居本に向かう前にお昼ご飯を食べに神宮丸太町に寄りました。


11時にチェックアウトして高瀬川沿を北上、


高瀬川一之舟入前の角倉了以別邸跡が、

七代目小川治兵衛作庭の第二無鄰菴になり、

現在はがんこ高瀬二条苑になってます。

丸太町橋西詰のレトロ洋館は1923年竣工の旧京都中央電話局上分局、現在はフレスコが営業中。


丸太町橋を渡ると目指すお店はすぐそこです。


シュー@さんに教えてもらった「そ・かわひがし」小さなお店なので予約してました。


若い店主は「草喰なかひがし」中東家の三男、花背美山荘現当主の従兄弟にあたります。


この前日、大津でお昼食べた「自然坊たなか」のご主人は「草喰なかひがし」で修行された方

うどんランチコースは前菜、鯖寿司、細うどん


前菜は焼き胡麻豆腐と牛肉時雨煮の2品

鯖寿司は酢と塩は控えめ身の厚い鯖が美味

焼いたお揚げと野草たっぷりの細うどん

摘草料理を思わせる春の薫りの京うどんでした。



お昼を食べて最寄りの京阪本線神宮丸太町駅から四条へ、阪急電車に乗替えて阪急嵐山駅で下車、


阪急嵐山駅前から清滝行のバスに乗りました。


バスはガラ空き、渡月橋や嵐電嵐山駅前の雑踏を尻目に嵯峨鳥居本に向かいました。


終点清滝の一つ手前の愛宕寺前で下車しました。



■ 愛宕念仏寺

バス停で降りた乗客はほとんど外人観光客、

苔むす石仏群が珍しいのか愛宕念仏寺の山門にどんどん吸い込まれていきました。

愛宕念仏寺の境内はほとんど傾斜地、斜面のあちこちに苔むす石仏が佇んでました。

段々に並ぶ石仏は化野念仏寺とは一味違います。

優しいお顔の石仏さま達にお別れして愛宕街道を下りました。


■ 鮎茶屋平野屋

愛宕念仏寺から愛宕街道を数分ほど下ると、

愛宕神社の赤い鳥居の手前に平野屋の美しい茅葺き屋根が見えてきました。

平野屋の前にある巨石は愛宕神社を参詣の安全を祈願する「上り亀石」、

山上には「下り亀石」があり、長い登山道の安全のため亀のようにゆっくり進みなさい、という意味があるとのこと。


鮎茶屋平野屋は愛宕神社一之鳥居畔で約400年茶屋を営み、現女将は16代目とのこと。


平野屋のよく使い込まれた「おくどさん」は現役、湯沸かしや炊飯に使われてます。

平野屋の座敷に上がり、囲炉裏端で一休み、

先客は外国人バックパッカーでした。


礼儀正しい彼らはカタコトの日本語で「コンニチハ」「サヨナラ」と挨拶してくれました。


桜茶をいただいてから、お抹茶と冬の名物「ゆずしぐれ」をお願いしました。

ゆずしぐれは冬限定ですがまだありました。

平野屋のゆずしぐれは、ふっくらした柚の皮を甘く煮たもの、上品な甘さにほろ苦さと柚の香りが抹茶によく合いました。



鳥居本伝建地区は、鮎茶屋平野屋から愛宕街道沿の約600mの範囲が重伝建に指定されてます。

茅葺き屋根の農家風の建物と、つし二階・瓦屋根の町家風の建物が混在しています。

嵯峨野の鄙びた景観がよく残されてます。



◾️ 化野念仏寺

嵯峨鳥居本伝建地区の中ほど、愛宕街道から石畳の坂を登ると化野念仏寺があります。

化野念仏寺の石仏・石塔はあだしの一帯に葬られた人々のお墓で、長い歳月を経て無縁仏となり、あだしのの山野に散乱埋没していました。


明治中期に地元の人々の協力を得て集め、

極楽浄土で阿弥陀仏の説法を聴く人々になぞらえ配列安祀し、賽の河原に模して「西院の河原」と名付けられました。

化野念仏寺の裏には美しい竹林が広がります。

竹下通りの雑踏のような野宮神社近くの竹林の小径と違い、この竹林は静寂そのものでした。


化野念仏寺を出て鳥居本からの帰りは嵐電嵐山駅まで歩きました。


鳥居本では外人観光客ばかり目立ったけど、

祇王寺、二尊院あたりまで来ると日本人観光客が多く見かけるようになりました。


久しぶりに訪ねた夕暮れ近い落柿舎は人も少なく静かでした。

落柿舎の縁側に座って一句詠み、投稿しました。

『からびとの 愛し石仏 梅白し』


落柿舎の静寂の中でしばらく過ごしたあと、

雑踏の嵐電嵐山駅に向かいました。