東大寺二月堂修二会のお松明を観た翌朝は、

奈良きたまちの宿から東大寺を巡るウォーキング

人影も鹿影もまばらな早朝の東大寺境内

荘厳な大仏殿の前で、昨年はミーシャが、2010年はサラ・ブライトマンがライブを行いました。


鏡池に映る大仏殿も綺麗に撮れました✌️

鐘楼手前の猫段から見る大仏殿も好きです。

重さ26.3トンの梵鐘(国宝)は東大寺創建当初のもの、修ニ会の期間以外は毎夜8時に撞かれます。


東大寺からの帰り道は勧学院の土塀に沿って東へ、写真家入江泰吉旧居や戒壇堂があります。

戒壇堂の北側、東大寺焼門(中御門)近くに乳酸菌飲料の工場だった古い建物があります。


「工場跡事務室」というカフェ、毎週金土日だけ営業するこの店を再訪しました。

土曜日曜朝は8時半に開店、モーニングが食べられます。このほかに飲み物とヨーグルト付き。


このカフェで朝食を食べたくて、金曜日夜はすぐ近くの奈良きたまちのホテルに泊まりました🤣



朝食後はホテルをチェックアウトして、奈良きたまちを北から南に歩きました。

京と奈良を結ぶ京街道(奈良街道)の奈良の北の入口が奈良坂・般若坂

平重衡と南都の僧兵が戦い南都が炎上した奈良坂・般若坂の戦い、宮本武蔵の般若坂の決闘などいくたの歴史の舞台となった般若坂にコスモス寺として知られる般若寺があります。

般若寺の創建は飛鳥時代、平重衡の南都焼討の際に炎上し廃寺となっていたが鎌倉時代に再興され、十三重石塔が建てられました。

京街道側の楼門(国宝)は鎌倉時代の建築

明治初期の廃仏毀釈で荒廃した般若寺は、

第二次世界大戦後に諸堂の修復や境内の整備が行われ、客殿は港区白金台に移築され料亭「般若苑」として営業してました。


その「般若苑」は三島由紀夫の小説『宴のあと』の料亭「雪後庵」のモデルでした。


般若寺から歩いて5分ほどのところに旧奈良監獄があります。


西洋の城門を思わせるモダンな表門、

旧奈良監獄は明治41年(1908年)に竣工、

「明治五大監獄」の一つで当時の姿がよく残っている歴史的建造物です。

現在は工事中で内部見学ができませんが、

2026年には星野リゾートの手で「監獄ホテル」として蘇ります。


旧奈良監獄から歩いて15分ほどのところに多聞山城跡があります。

松永久秀が築城した多聞山城は、筒井順慶が大和一円の支配を任じられたことで破却されました。

多聞山城に入城した信長は、正倉院から蘭奢待を運ばせ、同城の舞台で切取り配下に鑑賞させた。

多聞山城下の高台から奈良の街が一望できます。


現在、多聞山城跡の主要部は若草中学校となり、

西部に聖武天皇陵と仁正皇后陵があります。


聖武天皇陵は多聞山城の築城や廃城でかなり改変されたと見られています。

写真中は聖武天皇陵拝所、下は仁正皇后陵拝所


聖武天皇陵から南へ歩いて10分ほどのところに奈良女子大学があります。

奈良女子大学記念館は、明治42年に奈良女子高等師範学校本館として建設されました。


奈良女子大学の前の旧鍋屋交番は、明治41年に旧奈良警察署鍋屋連絡所として設置されました。

交番としての役目を終えて痛みも目立つようになりましたが、地域の人に親しまれていた「鍋屋交番」は保存・改修され「きたまち鍋屋観光案内所」として再出発しました。


奈良きたまちで泊まった宿は鍋屋交番の近く、

ホテルニューワカサの別館「和鹿彩別邸」


ワカサの名前は「若狭井」にちなんだとのこと、ロビーには鹿のお顔の内裏雛🤣

和鹿彩別邸で泊まった部屋は訳ありの狭い部屋、

それでもベランダに露天風呂♨️がついてました。

東大寺大仏殿や若草山を眺めて入る露天風呂、

奈良きたまちにはこんなお楽しみがありました。