「鎌倉十井」と古刹に咲く春の兆しの水仙を訪ねて北鎌倉駅から鎌倉駅まで歩きました。
鎌倉十井(かまくらじゅっせい)は、
水質も良く美味で、伝説やいわれが残る鎌倉を代表する十の井戸です。
これまでに極楽坂下の「星の井」、小町通りの「鉄の井」、明月院の「瓶の井」、浄光明寺近くの「泉の井」を訪ねたので、
今回はまだ訪ねていない「甘露の井」「底脱ノ井」「扇の井」を巡りました。
スタートは北鎌倉駅、冬の平日朝は円覚寺前も静かな佇まいでした。
最強寒波が日本列島を覆った日でしたが、
北側の山を背にした鎌倉の地は日差しがあり意外と暖かでした。
最初に北鎌倉駅近くの東慶寺を訪ねました。
明治時代後期まで「縁切り寺・駆け込み寺」と呼ばれた東慶寺は花の寺として人気があります。
境内のロウバイは見ごろでしたが水仙はまだ咲き出したばかりでした。
心落ち着かせて参拝しと欲しいとの思いから境内は撮影不可です。
東慶寺から建長寺に向けて緩やかな坂道(交通量が多く怖い道)を少し歩くと浄智寺三門前に「甘露の井」があります。
◾️甘露の井
この井戸の水は蜜のように甘く、不老不死の効能があったという伝説があります。
浄智寺は鎌倉五山第四位 臨済宗円覚寺派の禅刹
三門をくぐり石段を登ると二階に鐘を下げた特徴的な楼門があります。
かつての大伽藍は衰退し江戸時代後期には八院を残していたが関東大震災でほぼ倒壊しました。
現在は三門、楼門、仏殿「曇華殿」、方丈、客殿などが伽藍を形造ってます。
境内の水仙もぼつぼつ咲き始めました。
竹林の向こうにヤグラがありました。
洞窟を抜けた先には鎌倉七福神の布袋様
浄智寺から建長寺に向かって歩くと足利尊氏ゆかり紅葉の美しい長寿寺があり、
その角から亀ヶ谷坂の切通しが始まります。
亀ヶ谷坂切通しは鎌倉歩きではよく通る道、
北鎌倉側は緩やかな坂道で扇ヶ谷側は急坂です。
亀ヶ谷坂切通しを越えて扇ヶ谷の奥まで行くと海蔵寺門前に「底脱ノ井」がありました。
◾️底脱ノ井(そこぬけのい)
井戸の脇に「千代能が いただく桶の 底脱けて
水たまらねば 月もやどらず」の歌碑があります。
千代能は無着如大という海蔵寺の尼僧の幼名、
桶の底が抜けて水面に映った満月が見えなくなったとき、心に宿っていた煩悩が氷解して悟りの境地に達したという。
海蔵寺は臨済宗建長寺派の禅刹
鎌倉有数の花の寺として知られ、初春は梅や水仙が咲きます。
本堂裏には心字池を中心とした美しい回遊式庭園があります(非公開)
鎌倉の寺院にはどこでも見られるヤグラ、海蔵寺ではシダの洞窟を思い出しました。
海蔵寺の境内南の巌窟中に鎌倉十井ではありませんが不思議な井戸があります。
◾️十六ノ井
窟の中央に観音菩薩像、その下に弘法大師像が安置され、手前に縦横に四穴、合計十六の穴があることに由来します。
井戸の水は金剛功徳水と名付けられ、仏に供える閼伽水といわれ、今も水が湧き続けてます。
海蔵寺からもと来た道を戻り、亀ヶ谷坂切通しの1本南側の小径を入ると住宅地の中に鎌倉十井の一つ「扇の井」がありました。
◾️扇の井
井戸が扇の形をしており、静御前の舞扇を納めたという伝説もあります。
「扇の井」は個人宅の敷地内にあるので前の道路から眺めさせていただきました。
横大路にある川喜田映画記念館、一般公開されている遊歩道から旧川喜田邸が見えます。
和風建築の旧川喜田別邸は、和辻哲郎が練馬区で古民家を居宅に使った建物を移築したもの。
川喜田映画記念館の隣りが巌窟不動尊、その参道に不動茶屋があります。
暖かい昼下がりだったので屋外のテーブル席で焼豚丼を食べました。
不動茶屋を出て横大路を鶴岡八幡宮前に向かい、
「鉄の井」を横に見て小町通りの雑踏を避けて若大路の東歩道を通りゴールの鎌倉駅へ、
鎌倉駅から電車に乗って富士山の夕暮の見える海岸に向かいました。