今日、8月22日は向田邦子さんのご命日、
「木槿忌」は向田邦子さんを悼む山口瞳さんが提唱された忌日。
散歩道には夏の終わりの木槿が咲いてます。
42年前のこの日、取材先の台湾で飛行機事故に遭遇し51歳の若さで亡くなりました。
存命なら93歳、もっともっと多くの向田作品を世に出され、親友の「徹子の部屋」にはご本人が何度も出演されていたでしょう。
当時はテレビのドラマが面白く、中でも向田邦子脚本のドラマは欠かさず観てました。
ドラマの場面は断片的にしか覚えてないけど鮮烈な記憶に残るのが「阿修羅のごとく」
母ふじが夫と愛人を物陰から見つめるシーン、
大路三千緒の険しい顔が気立しく流れるトルコの軍楽(メフテル)と共に蘇ります。
この曲を知りたくて調べてたらメフテルの定番曲「ジェッディン・デデン」でした。
今でも「メフテル=阿修羅のごとく=向田邦子」が条件反射のごとく繋がります。
知らない民族音楽との出会いといえば、
学生時代に観たフェリーニの映画「サテリコン」で流れる呪文のようなリズム。
それがバリ島の舞踏劇ケチャであると知ったのは5年後のこと、当時の仕事場だった新宿新都心で毎夏開催される芸能山城組ケチャ祭でした。
コロナ禍で中断していたケチャ祭も今夏は再開されたようです(ちょっと脱線😅)
向田邦子さんの話に戻ります。
読書家でない私が真っ先に断捨離したのは本、
向田邦子さんの本で廃棄を免れたのは「向田邦子の手料理」、向田邦子さんのエッセイのさわりと妹和子さんが再現した手料理の本。
料理のレシピ本にと買ったけど、私には敷居が高く料理は手付かずです。
家庭料理なので単品くらいは作れますが、向田邦子の手料理は生活であり哲学でもある。
生半可に真似できるものではないと悟りました。
鉄道の旅では文庫本一冊を荷物に入れます。
今回の京滋の旅のお供の一冊は向田邦子のエッセイ「父の侘び状」にしました。
銀座百点に連載された「父の侘び状」など24編のエッセイを収めた単行本、
地味なカバーの上に写真入のカバーが重なっている、店頭で目立つため?お節介に思えた。
五山送り火の日、京都に向かう新幹線の車内に7時間座ってました。
普段はリュックに文庫本一冊忍ばせるけど、ほとんど出番はなく小さなお荷物でした。
涼しい車内、たっぷり時間もあり向田邦子さんのエッセイの出番がありました。
300ページほどの文庫本、7時間もあれば読み終わる人も多いと思うけど、
今や「遅読家」になった私は京都に着くまでにやっと1/3を読み終えました。
感情描写に頼らずリアルな情景描写で語る向田邦子さんのエッセイは、
77年の私の人生の引出しを一つ一つ取り出して、想いを巡らす時間を作ってくれました。