京都では「膏薬図子」の宿に泊まりました。


京都らしい街並みと風情が色濃く残る場所は民家の間の細い通路の「路地」や「図子」


「路地」は袋小路、西陣の「三上家路地」がよく知れています。

「図子」は路地が反対側の通りに突き抜けた通路、「膏薬図子」は人気スポットです。


四条通りと綾小路をつなぐ「膏薬図子」は、

古い京都と新しい京都が共生していました。

膏薬図子にある神田明神、平将門の首が晒された場所とのこと。


空也上人が晒し首があった場所に念仏道場を建てて供養しました。


この「空也供養(くうやくよう)」が転訛して「膏薬」の図子名になりました。


その「膏薬図子」に玄関を構えるのがホテルユニゾ京都四条烏丸、形態はビジネスホテルですが旅行者向けの清潔でお洒落なホテルです。

最近、京都の中心部ではこのようなスタイルのホテルが増えました。

従来のビジネスホテルとの違いはゆったりしたラウンジ、部屋の狭さを補ってます。



「膏薬図子」の宿から歩いて1分、綾小路側に重要文化財の「杉本家住宅」があります。


この日は杉本家住宅の公開日、2日前なら雨音を聴く趣向があったかも?😆

「表屋造り」の店舗部分は工事中、奥の住居部分だけの見学でした。

杉本家は江戸期1743年創業の呉服商、下総の佐倉や佐原にも出張店を構えました。


お商売は先代当主でフランス文学者秀太郎氏の代でたたみ、現当主は料理研究家の節子氏。


杉本節子さんは生家を始め貴重な文化財である京町家の保存に奔走されています。


土間の高い天井に太い通し梁が見えます。

京都の暑い夏には風通しのよい通り庭が涼をとってくれます。


杉本家住宅の見学は京都迎賓館の説明員もやっている年配女性のボランティアさんがマンツーマンで案内して下さいました。

工事中の洋間にあった年代物の家具、どうぞ掛けて見て下さいと勧められました。


座敷のガラス窓越しに見る美しい座敷庭

以前は障子でしたがガラス戸に替えられました。


中央の2枚の戸のガラスは古い物、指物屋さんが取ったおいた昔のガラスとか。


あまり歪みはありませんが、近くで見るとガラスに小さな気泡が入ってました。


座敷の床の間には書院作りに見られる違い棚がありません。

商家としての遠慮があったとのこと。

床の間の上がり框や地袋の天板に木製のカバーが作られてました。

カバーの下は漆塗り、ハレの時にはカバーを外すそうです。


座敷の隣りの仏間は一番格式が高い部屋、


仏間の畳は京都迎賓館の「桐の間」に使われている「中継ぎ表」、イグサの良い部分のみを使い中央でつなぐ最高級の畳でした。


仏間の襖は無地に近い唐紙、明治になって商家も柄のある襖が許されるようになりましたが、柄が目立たない抑えた物でした。

唐長さんに板木が残る唐紙だと思います。


和紙の白地に雲母(きら)だけを押した無地感覚の唐紙、うす暗い仏間で蝋燭の灯りにキラリと紋様を浮かべる最高に贅沢な襖だと思います。


仏間の横に作られた坪庭「仏間庭」

仏間庭には「円礫」と呼ばれる角が丸いほぼ同じ大きさの石が同方向に置かれ「青海波」の模様を作っています。


座敷の広縁の深い軒を支える一本の梁、

撓みもなく先と根元の太さがあまり変わらない北山杉の丸太はとても高価な材でしょう。

派手な装飾はなくてもこんな所に目立たない贅沢を施す、京の大店の心意気を感じます。


座敷庭の一角の井戸、杉本家の井戸も四条通りの地下鉄工事で水脈が絶たれました。


座敷庭の丸い石はどこかの寺院の礎石とのこと、

この手水鉢は旧五条大橋の礎石でした。


台所庭のおくどさん、料理研究家杉本節子さんが京料理を作るシーンに登場してます。

杉本家住宅のハレでない部屋では天井が張られてません。

壁の剥き出しの電気配線は京都で配電が始まった明治中頃に取り付けられました。


部屋のあちこちに飾られた花は杉本家の庭に咲いていた草花とのこと、

奥の庭の片隅で半夏生を見つけました。


11時にホテルをチェックアウトして家路につきました。


京都のお土産は村上重のお漬物、


西木屋町の本店は高瀬川の近くの分かりやすい場所にあり、河原町四条のバス停にも近い。

夏はいつも「胡瓜の京高瀬(刻み)」

千枚漬の代わりに「こぶ大根」

期間限定の「姫しょうが」が美味しそう😋


但馬の旅のスタートは5日前の昼過ぎの京都駅、

大阪、京都も巡り昼下がりの京都を離れました。