今回の大阪訪問の目的は、故郷の墓参り、故郷の人たちとの楽しい時間、そして2月に亡くなった兄宅の弔問でした。


墓参り翌日の兄宅弔問は午後の予定だったので、午前中は大阪の街歩きに出かけました。


早朝の西梅田、通勤者の姿はありません。

壁抜け猫、角を回ると上半身がありました。


大阪駅から環状線で玉造駅へ

昨年10月は天王寺界隈を巡り、大阪夏の陣で真田幸村が奮戦し倒れた茶臼山を訪ねました。


今回は大阪冬の陣で徳川勢を翻弄した真田丸を訪ねることにしました。


玉造駅近くにある真田幸村ゆかりの三光神社は中風病除の神様として知られてます。

大阪の陣の折、真田丸から大阪城に通じる抜け穴

を掘ったと言い伝えられてます。


真田幸村の銅像の横に抜け穴が残ってました。

この後、大阪城へは地上を歩いて行きます。


三光神社の御祭神は、天照大神・月読尊・素戔嗚尊の三姉弟です。

御本殿には真田幸村のねぶたが置かれてます。


三光神社の裏は小高くなってました。

ここに陸軍真田山墓地があり、兵士の小さな墓石が無数に並んでました。


さしずめ欧米の戦没兵士の墓ならこれが白い十字架になるんだ。


先日、クイズに出た真田山界隈を歩きました。

真田山公園、顕祥寺のステンレス水煙、なで仏の傳長寺はまだ閉まってました。

傳長寺の先に真田丸顕彰碑がありました。

ここから坂を降りると真田丸と大阪城を隔てる空堀でした。


坂の下にある「どんどろ大師」善福寺

山門横に「お弓おつる」の銅像があります。


阿波人形浄瑠璃「傾城阿波の鳴門」に巡礼姿の少女お弓が語る『ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します』はご存知でしょうか?

お弓とおつるが出会ったのが、ここどんどろ大師の門前とのことです。


真田丸の坂を降り、どんどろ大師前を通り、み少し歩くと発掘された難波宮跡があります。

難波宮は、古墳時代の応神天皇の難波大隈宮や仁徳天皇の難波高津宮、飛鳥時代からの欽明天皇の難波祝津宮の総称。


難波宮跡の北側に大阪城南外堀があります。

大阪城大手門から入城しました。

大手門をくぐると大手口枡形があり、正面には小豆島から切り出された巨石「大手見付石」が威容を誇っています。


大阪城内桜門の正面にある豊国神社は豊臣秀吉、豊臣秀頼、豊臣秀長を祀る神社です。

ここに豊臣秀吉の代表的な銅像があります。


大阪城内堀の向こうに天守閣が見えます。

大阪城本丸へは桜門から入りました。

ほとんどの観光客は天守閣に登りますが、

子供の頃に登ったことがある鉄骨鉄筋コンクリート造の復興天守閣に興味がなくパスして、

私が訪ねたのは天守閣の裏手の山里丸

大坂夏の陣は豊臣秀頼・淀君がここ山里丸の蔵内で自刃して終わりを告げました。


山里丸の石垣の上にある聖観世音菩薩

淀君と殉死した三十二名忠臣の慰霊碑、

大野治長、毛利勝永ら武士と共に大蔵卿の局ら侍女の名前も彫られてました。


山里丸から大阪城極楽橋を渡り、

内堀の石垣を眺めながら森ノ宮駅向かいました。


途中にあるスターバックス大阪城公園森ノ宮店で一休み

珈琲とホットサンドでブランチしました。