今週のアド街ック天国は

「センター北・センター南」でした。


先日、受講したあざみ野カレッジの講座は「横浜北部のニュータウン開発と鉄道」


私がいま住んでる多摩田園都市と「終の住処」にと考えている港北ニュータウンがテーマでした。


センター北とセンター南は港北ニュータウンの双子のセンターです。

カレッジ会場はあざみ野駅から歩いて5分ほどにある「アートフォーラムあざみ野」

3階のアトリエが教室に聴講者は20人、定員はコロナ禍前の半分でした。

 

講師は大倉精神文化研究所研究部長

専門は日本史、港北区の歴史を研究

※広大な旧港北区は人口増に伴い、港北区・緑区・青葉区・都筑区に分区され、

このエリアに多摩田園都市(青葉区)と港北ニュータウン(都筑区)があります。

 

講演は、多摩田園都市や港北ニュータウンの成立と鉄道敷設から現在の街の姿、さらにこれからの課題を考える2時間でした。

 

多摩田園都市と港北ニュータウンのエリア

多摩田園都市も港北ニュータウンも昭和30年代までは鉄道路線から遠く離れた港北の丘陵地が広がっており

「横浜のチベット」と揶揄されてました。


 

■多摩田園都市について

東急田園都市線の梶ヶ谷駅から長津田駅までの丘陵地に広がるニュータウン。

この地を舞台にしたTVドラマ「金妻(金曜日の妻たち)」が放送されて40年近くなります。


このニュータウンは東急電鉄が鉄道を敷設し駅を造り、駅を中心に宅地開発を進めました。

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ゆったりした町並み、美しい並木道が続きます。


 このニュータウンが開発された頃はモータリゼーションが花開いた時代、歩道と車道は分かれていますが横断歩道で平面交差が基本です。

駅前はバスロータリーが占拠、歩行者は広場の端っこを歩きます。



■港北ニュータウンについて

多摩田園都市に約10年遅れ都筑区の多摩丘陵に港北ニュータウン開発が始まりました。


まず緑豊かな自然林と渓流で「緑のネットワーク」を造り、そこに住宅地を配しました。


その住宅地の利便性を考えて鉄道を敷設し駅周辺に都市施設を建設しました。


幹線道路は住宅地を分断しないよう外周部に計画されました。

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港北ニュータウン全体に張り巡らされた遊歩道は車道の下をくぐるか上を跨ぎます。

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南北センター駅前は歩行者のための広場、ここから遊歩道が四方に伸びています。



■街の進化とは

講師が通勤する東横線駅周辺の道路は狭く車と人が混在し高齢者・障害者には危険地帯。


多摩田園都市は歩車が平面分離されているが、まだまだ車が主役の街。

気持ちよく歩ける遊歩道は細切れです。


港北ニュータウンは歩車が立体分離され、人が主役の街。

緑豊かな遊歩道は住宅地と公園と都市施設を切れ目なく繋いでいます。


終の住処にする街を探した時、港北ニュータウンに惹かれたのは「人が主役」であることが今回の講座を聴いて再認識しました。



日曜日朝は予定どおり画像クイズです。