京都のすぐお隣の町ですが、

大津は初めての訪問でした。


京都とは一味ちがう歴史の奥深さと、

懐かしい昭和の街並みや琵琶湖の空と風、

すっかりお気に入りの町になりました。


■大津港

京阪電車浜大津駅は、京都の三条京阪駅から22分、北は三井寺・坂本、南は石山寺・瀬田と湖西巡りの要所です。


浜大津駅の目の前が大津港、

ここは大津城の本丸跡でした。


大津港は琵琶湖クルーズ船の母港です。

「ミシガン」はミシシッピ川で運航された外輪船をモチーフに造られたクルーズ船。


学生時代に憧れていた『琵琶湖周航』

TDL風の外輪船の湖南巡りではなく、

長浜港か今津港から出て竹生島を巡る湖北周航がいいな。



■琵琶湖第一疏水

南禅寺水路閣や蹴上のインクラインはお馴染みの場所ですが、

大津側の琵琶湖疏水は初めての訪問です。

桜の季節は花見客で賑わう疏水沿いの道も

真夏の早朝は行き交う人もまばらです。

大津閘門、琵琶湖疏水船の乗降場はここ。


琵琶湖疏水の先に三井寺の総門があります。


■三井寺

「長等山園城寺」は俗称の「三井寺」の名で知られる天台寺門宗の総本山。


仁王門

慶長6年(1601年)徳川家康が甲賀の常楽寺から移築し寄進した

京阪電車三井寺駅からまっすぐ続く道を行くと仁王門があります。

大津絵美術館のある圓萬院はこの右手。


国宝の金堂(本堂)

本尊は弥勒仏(秘仏)

現存する建物は慶長4年(1599年)北政所により再建されたもの。

※豊臣秀吉は慶長3年に亡くなり、関ヶ原の合戦は慶長5年です。


金堂の回廊の先、金堂の西側に接して建つ小堂は閼伽井屋(あかいや)


小堂内の岩組から霊泉が湧き出て、天智天皇・天武天皇・持統天皇の三帝の産湯に用いられました。


御井・三井と呼ばれた泉から三井寺の俗称が広まりました。

閼伽井屋の正面には左甚五郎作と伝わる龍の彫刻があります。


一切経蔵

慶長7年、毛利輝元が山口県・国清寺から移築し寄進した堂

堂内には高麗版一切経を収める回転式の八角輪蔵があります。


三重塔

仁王門と同じ慶長6年に、徳川家康が奈良県・比蘇寺から移築し寄進した塔。


弁慶の引摺り鐘

園城寺と比叡山の山門争いで

弁慶がこの鐘を奪って比叡山に引き摺り上げて撞くと『いの〜いの〜』と響いたので、

弁慶が『そんなに三井寺に帰りたいのか』と怒って谷底に投げ捨てた、という伝説の梵鐘です。

※関西弁で「いの」は「帰ろ」の意味、『ほな、いのか』(じゃあ、帰ろうか)


鐘楼(三井晩鐘)

近江百景の一つ「三井の晩鐘」は、宇治の平等院、高雄の神護寺と共に「日本三銘鐘」



■長等神社

三井寺(長等山園城寺町)の帰り道、長等神社がありました。

長等神社は天智天皇6年(667年)に近江大津宮に遷都した際、長等山に建速須佐之男大神を祀ったのが始まり。

後に園城寺の鎮守となりました。



■アーケード商店街

大津は東海道最大の【宿場町】三井寺の【門前町】琵琶湖水運の【港町】として栄え、

江戸中期には100の町がありました。


大津の中心部、旧東海道に平行して約600mのアーケードがあります。

丸屋町商店街、菱屋町商店街、長等商店街がアーケードでつながります。

商店街にはジャスト100あった大津百町の名前が、そのまま残っている「丸屋町」「菱屋町」や、20近い町が合わさってできた新地名「長等」が付いてました。


早朝ウォーキングで歩いた商店街は開店前、

次回の大津百町訪問では商店街名店巡りツアーに参加してみよう。


丸屋町商店街の一角に「大津祭曳山展示館」がありました。


■大津祭

大津には京都祇園祭の風情を色濃く継承した祭礼があります。


江戸時代に制作された曳山が13基あり、

大津祭曳山展示館には実物大の模型が常設展示されていました。

それぞれの曳山にはからくり人形が乗っているのが大津祭の特徴です。

大津祭は天孫神社の祭礼、祭礼当日は境内でのくじ改めの後、町内を曳山が巡行します。


大津祭にも各曳山ごとに粽があり、巡行中に厄除けちまきが撒かれます。

大津祭は10月の第二日曜日が曳山巡行、前週の日曜日に曳山の組建てが行われてます。



京滋紀行ブログは今回で終了です。


今回は封印した近江八幡のヴォーリズ建築巡り、瀬田や石山寺、大津百町で訪ねたかったお店などなど。


できれば大津祭の頃にまた近江を訪ねたい。