松尾芭蕉が奥の細道で訪ねた最北の地は、
岩手県の平泉や秋田県の象潟ですが、
芭蕉句碑は本州最北の青森県にもあります。
青森市の合浦(がっぽ)公園にある芭蕉句碑をねぶた祭りが始まる前に訪ねました。
合浦公園のシンボルツリー「三誉の松」
天然記念物の樹齢400年を超える黒松、主幹は根元から三本立ちになってます。
江戸時代にこの地を訪れた弘前藩主が杯酒を捧げたとの伝承があります。
明治時代に入り、地域の人に親しまれたこの松を中心に合浦公園が造営されました。
合浦公園の中心は美しい日本庭園
睡蓮の池には鴨が泳いでました。
青森市合浦亭は、市民の茶道・華道・短歌俳句などの文化活動に利用されてます。
合浦公園内には30基を越える句碑・歌碑・記念碑があります。
陸奥湾を望む白砂青松の海岸に石川啄木の歌碑がありました。
明治40年(1907年)妹光子を伴い函館に渡った時を詠んだ啄木の歌。
『船に酔ひてやさしくなれる/
いもうとの眼見ゆ/津軽の海を思へば』
合浦公園の青森市営球場前には、ボールと投手の記念碑があります。
「日本プロ野球初の完成試合達成記念碑」
昭和25年6月28日、青森市営球場の球場開きの記念試合で、巨人の藤本英雄投手が日本プロ野球初の完全試合を達成しました。
※対戦相手は「西日本パイレーツ」、昭和25年に1年間だけ存在した球団。監督は三原脩。
翌年、西鉄ライオンズに吸収されました。
肝心の芭蕉の句碑が見つからない😢
公園管理事務所で公園案内図をもらってやっと芭蕉句碑を見つけました。
なんと、多目的広場のサッカーゴール置場の片隅にありました。
『鎌倉を生きて出でけん初鰹』
芭蕉倶楽部⑧では、東海道戸塚宿のこの句碑を訪ねました。
合浦公園の芭蕉句碑は明治25年(1892年)、芭蕉二百年祭に有香社中により建立されました。
※有香社は青森の俳人浅田祇年が創設、合浦公園には祇年の句碑もあります。
近年、陸奥湾にもごく稀に鰹がやってくるそうですが、ちょっと場違いな句碑かな?
そこでシュレッダー覚悟で一句
『初競りへ デコトラ煙る むつの海』
かつては鎌倉で獲れた初鰹を東海道を駆けて江戸の魚河岸に届けました。
今は大間の鮪を豊洲市場の初競りに向け、大間鮪の絵も鮮やかなトラックが雪に煙る陸奥湾沿いの道を駆け抜けるのでしょうか?
夏の穏やかな陸奥湾、遠く下北半島を眺め詠みました。