川崎市高津区溝口の宗隆寺に芭蕉の句碑があります。
『世を旅に 代かく小田の 行きもとり』
※「代かき」は水田に水を入れ、土を砕き、ならして田植えの準備をすること。夏の季語
笈日記に「元禄七年前の五月なるべし。尾張の国に入て旧交の人々に対す」と前書き。
この句は元禄7年(1694年)芭蕉が名古屋の山本荷兮を訪ね歌仙、とありました。
句碑は1829年に玉川老人亭宝水(溝口の灰吹薬局二代目二兵衛)が建立しました。
興林山宗隆寺は日蓮宗の寺院、かつては池上本門の末寺でした。
御会式の万燈練り供養の日、溝口の旧大山街道界隈は賑います。
宗隆寺に陶芸家濱田庄司の墓があります。
山門前の濱田庄司の石碑
濱田庄司の生家は溝口の大和屋という江戸時代から続いた菓子舗
宗隆寺の隣の溝口神社は矢倉沢往還の溝口宿付近の村の総鎮守でした。
※矢倉沢往還は大山道のルートの一つ、
赤坂見附から国道246号に沿って足柄峠あたりまで繋がる脇往還です。
※五街道の起点は日本橋、脇往還の起点は四谷見附(甲州街道)、虎ノ門(中原街道)、赤坂見附(矢倉沢往還)など
巨大なお多福の面が笑ってお迎えです。
二ヶ領用水に架かる旧矢倉沢往還の橋
あざみ野にも旧矢倉沢往還が通ってますが、その名残りは点在です。
溝口〜高津〜二子橋まで旧矢倉沢往還は街並みとして残っています。
蔵造りの灰吹屋は江戸時代から続く薬局
宗隆寺の芭蕉句碑を建立した老人亭宝水は灰吹屋の二代目、現在のご当主は五代目。
蔵造りの金物屋飯島商店の店先には、
旧大山道名物の巨大な釜がありました。
先代が看板代わりに造った大釜ですが、染め物屋などでは実際にこの大きさの釜が使われてたとのこと。
この大釜はNHK大河ドラマ「黄金の日々」で根津甚八演じる石川五右衛門の釜茹でのシーンに使われました。
途中の高津図書館前の緑地に国木田独歩の石碑がありました。
国木田独歩作「忘れえぬ人々」の冒頭文
『多摩川の二子の渡しをわたって少しいくと、溝口という宿場があり、その中ほどに亀屋という旅人宿がある』
以前、石碑は近くの亀屋跡にありました。
※茅ヶ崎の療養施設「南湖園」で没した国木田独歩の通夜の宴は先日泊まった「茅ヶ崎館」で多くの文人が集い執り行われました。
二子橋の手前、多摩川の土手を背に村社二子神社があります。
境内のオブジェは岡本かの子文学碑
息子の岡本太郎が制作しました。
※岡本(大貫)かの子は幼少期を二子の大地主大貫家で過ごしました。
今日の旧大山道(矢倉沢往還)歩きの終点の二子玉川、二子橋のたもとに二子の渡しの跡がありました。
3.11の夜は寒風の二子橋を逆方向に渡り旧大山道を頼りに歩いて自宅まで帰りました。
秋晴れの玉川高島屋SCの屋上庭園
小さな子供たちの遊び声が聞こえます。
美登利鮨の順番待ちを秋晴れの屋上庭園でのんびり過ごしました。
カウンター席でいつものセットを注文
蟹みそサラダでまず一杯、にぎりはどれから行こうかな😋
溝の口駅で降りて歩き出す時からこの瞬間を楽しみにしてました😄