小津安二郎監督が大船撮影所からそう遠くない茅ヶ崎館に初めて泊まったのは昭和12年。

 

昭和16年から茅ヶ崎館での執筆活動を開始、

戦前戦後を通して小津監督は秋頃から茅ヶ崎館に居を構え、作品の構想から脚本の書き上げまで半年を過ごしてました。

 

茅ヶ崎館には、新藤兼人監督と妻音羽信子さんが泊まった部屋、原節子さんが泊まった部屋の面影が残っています。

 

最近では是枝裕和監督が小津安二郎監督が使った中二階二番で脚本を書いてます。

 

2019年のドーリス・デリエ監督作品「命みじかし、恋せよ乙女」は茅ヶ崎館が舞台です。


この旅館の女将の役を演じた樹木希林さんの遺作となりました。


玄関から広間・客室に向かう廊下脇にクラシックなラウンジがあります。

玄関が現在の位置になる前、ここには従業員室があったとのこと、

昼間はカフェ営業もやっており5代目館主こだわりの豆と水で淹れた珈琲を味わえます。

ラウンジには小津安二郎監督ゆかりの品々が展示されています。

本棚にあった「小津安二郎と茅ヶ崎館」を今宵の宿の一冊にしました。


4代目女将が案内する茅ヶ崎館歴史建築ツアーの終点は中二階棟の二番の客室です。

中二階棟には手前から一番・二番・三番の客室があり、監督たちが脚本作りに入る時は中二階棟全体を松竹が借り上げました。


磨き上げられた廊下の先に中二階棟の共同便所があります。

左側が三番の客室、二間続きの広い部屋は助監督ら若いスタッフの雑居部屋でした。

この日はドイツ人写真家が連泊してました。

正面が予約した二番、右が三番です。

小津安二郎が寝起きと脚本作りに使った二番は八畳に広縁のさほど広くない客室。

床の間のテレビと冷蔵庫がなければ「東京物語」の時代にタイムスリップした気分です。


部屋の壁にスイッチがなく電灯はソケットのつまみを回して点灯します。

中庭に面する障子窓から朝日が入りますが、

翌朝はあいにく曇り空でした。


広縁から南側の庭園の眺め、

庭木の向こうに茅ヶ崎海岸があります。

昔はここでも潮風や波の音を感じることが出来たでしょう。


樹木希林さんの遺作となったドイツ映画にこの広縁のシーンがあります。

か細い声で「命みじかし、恋せよ乙女」と歌った希林さんは、この撮影の2か月後に帰らぬ人となりました。


二番の広縁の奥に小津監督が使っていた座卓と火鉢が当時のまま残されてます。

ラウンジの本箱から借りた本に当時のこの部屋で寛ぐ小津監督の写真がありました。


古い座卓と火鉢を引っ張り出して写真の様に並べてみました🤣


小津監督はこの火鉢で燗酒したり肴を炙っていたとのこと、座卓には熱い湯呑みの跡がいくつも残ってました。

小津監督の自慢料理はカレーすき焼き、人が訪ねて来ると決まって振る舞ってました。


茅ヶ崎館では望めば小津監督のカレーすき焼きを作ってくれるそうです。


泊客が海水浴に出かけた旅館の裏道、

次回の湘南紀行はこの道を抜けてサザンビーチ散策に出かけます。