今年2月に入学した「あざみ野カレッジ」のセミナーが久しぶりに開催されました。

今回のテーマは『印象派の女性画家たちーメアリー・カサットを中心に』

講師は横浜市民ギャラリーあざみ野の沼田秀子首席学芸員、横浜美術館では「メアリー・カサット展」を担当しました。

 

会場の横浜市民ギャラリーあざみ野は自宅から自転車で10分の場所ですが、にわか雨が降りそうなのでバスで出かけました。

座席間隔をとったセミナー室はほぼ満席、入口で検温・消毒を済ませマスク着用。

 

講師席と客席はビニールで遮断されてます。

 

8割くらいはシニア、ワクチン接種済ませてようやくこうしたイベントに出てこれます。

 

印象派の女性画家メアリー・カサットの名前はこのセミナーで初めて知りました。

 

 

印象派の女性画家の本題に入る前に、講師から「印象派」のおさらいがありました。

 

印象派の絵画が好きでParis旅行の折に、オルセー美術館やオランジュリー美術館、そしてマルモッタン・モネ美術館も訪ねました。

印象派の絵画は好きでしたが、彼らの運動の時代背景はよく知りませんでした。

 

印象派画家が輩出したのは19世紀後半

 

当時、フランスの芸術界はアカデミーが君臨してました。

 

絵画にはヒエラルキーがあり、

歴史画・宗教画が頂点にあり次いで肖像画、

風俗画や風景画は低い地位に置かれました。

 

崇高なテーマを写実的に描き、筆跡を残さない絵画がサロン(官展)に入選しました。

 

印象派の名前にもなったクロード・モネの作品「印象・日の出」はサロンでは論外なんでしょう。

当時の風景画すらアトリエで描く絵画界に疑問を持った画家達が、チューブ入り絵具を持って戸外に出て絵を描き出しました。

 

エドゥアール・マネの作品「草上の昼食」は物議を起こした作品です。

古典派の絵画には裸婦が登場しますが、それは女神であり生身の女性ではありません。

 

サロンに落選したこの絵は「サロン落選展」に出品され、この展覧会が後の「印象派展」につながります。

 

さて、印象派の女性画家の話に移ります。

 

これまで画壇の出世コースは、

エコール・デ・ボザールに入学する、

サロン(官展)に出品する、

サロンでローマ大賞を取り留学する、

アカデミー会員になる。

 

女性はエコール・デ・ボザールに入れない。

人体スケッチが重要視されているが女性にはボザール以外でも許されてなかった。

 

女性はサロンに出品できたがサロンの審査基準ではハンデを負っていた。

 

当時のフランス社会では女性は結婚して専業主婦になるのが当然と考えられていた。

 

この時代で画家を志す女性が印象派の仲間に近づくのは自然な流れと思いました。

 

このセミナーでは印象派の女性画家として、

マリー・ブラックモン、ベルト・モリゾ、メアリー・カサットを取り上げてます。

 

マリー・ブラックモンは仏ブルターニュの庶民階級、結婚し陶器の絵付けの仕事を続けながら印象派画家として制作活動。やがて夫の干渉から心を患い50歳で制作を止める。

 

ベルト・モリゾは仏ブルージュの裕福な家庭、印象派画家と交流や印象派展に出品。

印象派女性画家では一番人気があり、カサットとは親交があった。

 

メアリー・カサットは米ピッツバークの裕福な家庭、教養のため欧州の都市を歴訪。

父は画家を目指すことに反対し支援せず。

教会から模写の仕事をもらってフランスに渡り、ルーブル美術館で模写など独学する。

 

サロンに出品したが酷評されたある日、街のショーウインドウで印象派の絵に出会い印象派に惹かれる。

メアリー・カサットは生涯独身でした。

 

カサットは数多くの母子像を描いてます。

身近に幼い甥や姪がいたが母親でないと分からない母と子の姿がそこにあります。

講師はカサットをもともと母性の強い女性だと評してました。

 

カサットの母子像とラファエロの聖母子像を並べたコメントに興味を惹きました。

ラファエロの絵の聖ヨハネがキリストに手渡す花は受難を意味するカーネーション。

 

カサットの母子像の絵の少女が幼児に花を渡そうとしています。

 

母親の不安げな表情や右上に続く小径はこの幼児の行く末を何か暗示しているのか、

 

絵画の見方の奥深さを講師はちらっと見せてくれました。

 

晩年のカサットは印象派をアメリカ人に売り込み、裕福な米国コレクターのアドバイザーとして収集旅行に同行しました。

2015年に妻と巡った米国東海岸美術館で印象派の絵画の多さに驚きましたが、メアリー・カサットの功績だと改めて知りました。