涼しくなって再開した洋館散歩第3弾は、
 
現在は横浜開港資料館として使われている
「旧英国総領事館」と、
開港広場近くに今は碑だけが残る「英一番館跡」など旧居留地の遺構を訪ねました。
 

旧英国総領事館(横浜開港資料館旧館)

大桟橋通りと海岸通りの交差点に開港広場公園があります。

ここは日米和親条約締結の地です。

開港広場に面して建つジョージアスタイルの洗練された建物が、
昭和6年(1931年)に建設された旧英国領事館。
開港資料館旧館の休憩室

中庭の玉楠のもとで1854年に日米和親条約が調印されました。

 

横浜開港資料館では、コロナ禍で延期されていた「コスモポリタンたちの足跡ー写真アルバムからー」展が10月3日から開催されました。
開港資料館で所蔵する写真が展示され、開港当時の横浜がセピア色の写真から蘇ってきます。
 
展示室内は撮影禁止ですが、
外国人居留地地図の垂幕は撮影OKでした。
 
山下居留地を近寄って眺めました。
①は開港資料館
④は震災の瓦礫で埋立られた山下公園。
⑤は中華街、現在の道路区間と同じです。
 
開港資料館の売店で記念に買いました。
左下はグランドホテル
右下は山下居留地49番館あたり
 

関内・山下居留地

横浜の歴史的建築物を巡る時、開港場時代の居留地の成り立ちも理解しておこうと思いました。

 

「関内」という地名があります。

今はJRや地下鉄の駅名に名を留めています。

 

大岡川、派大岡川(現在は首都高速横羽線)、中村川と海に囲まれたエリアが関内です。

 

関内入口の吉田橋には「関所」がありました。 

 

派大岡川は埋めたてられましたが、掘割の高速道路に架かる吉田橋に面影が残されています。

 

関内の南側が外国人居留地「山下居留地」で中華街も含まれます。 ※地図の黄色いエリア

『絹と光-知られざる日仏文化交流100年の歴史(アシェット婦人画報社』)

 

英一番館跡

「英一番館」は山下居留地で波止場(象の鼻)に一番近く、英国領事館に向かいあってました。

現在は跡地にシルクセンターが建てられ記念碑が残されいます。
 

英一番館はジャーディン・マセゾン商会が1860年(万延元年)に建設しました。

英一番館が描かれた錦絵「横浜英吉利西商館繁栄図」

 

「英一番館」の名前だけはよく知っていましたが、その跡地を訪ねたのは今回が初めてです。

 

「英一番館」を建設したのが私が元いた会社で、

社史は「英一番館」から始まってました。

 

旧居留地48番館遺構

48番地にはJ.P.モリソン商会という紅茶やダイナマイトを扱っていた会社の商館がありました。

関東大震災で建物の大半が崩壊し残った一部が現存しています。

遺構の内部には小屋組みや「フランス積み」のレンガ壁が見えます。

関東大震災で横浜は甚大な被害を受け、耐火性に高いレンガ造りの大半が倒壊しました。
 
神奈川芸術劇場とNHK横浜放送会館の一角には、建設地からの出土品が展示されています。
 
これは48番地跡から出土した地下室壁の一部
こちらのレンガ壁は「イギリス積み」です。
 
55番地跡から出土したレンガの基礎

これらは現在の地表を1m程度掘り進んだ、関東大震災の瓦礫層の下にあったとのことです。

レンガの壁や基礎以外にも礎石も出土してます。

 

「山下居留地」「山手居留地」「日本大通り」、街の歴史をひも解き始めると、ますますこの街の魅力に引込まれて来ました。

 

もう少し遺構巡りしょうと思ったのですが、

雨か降ってきたので次の目的地に向います。

その目的地は48番館遺構の目の前でした。
 
さて、ここはどこでしょうか?