シーズン3は録画しても見る時間が取れず、イブラヒムが処刑された頃から見なくなりました。
今はテレビドラマを見る時間が出来たので、シーズン4からオスマン帝国外伝に復帰しました。
第1話を見て、誰?この知らないオバサンと思ったらヒュッレムでした
5話くらい見て私の頭の中でも違和感が消えて、このオバサンがヒュッレムになりました。
スレイマンの息子達の後継者争いがドロドロと続くシーズン4ですが、2人の脇役がどう描かれるかを注目して視ています。
もし、オスマン帝国外伝にシーズン5があれば、この2人は主役に踊り出るでしょう。
その2人とは、セリムの側女ヌール・バーヌーと後に大宰相となるソコルル・メフメトです。
■ ヌール・バーヌー
ヌール・バーヌーはシーズン4第2話で、
海賊に拉致された奴隷として登場します。
シーズン1で奴隷として後宮に入ったヒュッレムと境遇が重なります。
皇帝スレイマンの後を継いだ第11代皇帝セリム2世のハセキとして、
さらに息子ムラト3世の生母として後宮だけでなく政治の場でも絶大な権勢を誇ります。
ちなみに皇帝妃でも身分は奴隷ですが、皇帝と正式に結婚したのはオスマン帝国の歴史上ヒュッレムとヌール・バーヌ―の2人だけです。
美しく寵愛を受けた女性というだけでない、何かを持っていたのでしょう。
ヌール・バーヌーはヴェネチア貴族の出身で、伯父がヴェネチア共和国元首を務めた名門です。
当然のことながら親ヴェネチア政策を進め敵対するジェノヴァから憎まれていたとのこと。
1571年のレパントの海戦はキプロスを巡るヴェネチアとオスマン帝国の争いが発端です。
※1570年にセリム2世はソコルルの諌止を押し切りキプロス遠征を行いました。
イスタンブール市民は「セリムはワイン目当てにキプロス遠征を始めた」と噂しましたが、エジプトとの航路を脅かすキプロス島を支配下に置くのが目的だったでしょう。
※ロードス島包囲戦では敗者に寛大だったオスマン帝国軍は、最後まで戦ったヴェネチアの司令官を残忍な処刑をし、これに憤慨したヴェネチアやスペインなどの連合艦隊がレパントでオスマン帝国艦隊を破りました。
しかし壊滅したオスマン帝国艦隊をソコルルがわずか1年で再建しました。
1574年にムラト3世の摂政となったヌール・バーヌ―はヴェネチアとの関係を改善し、
ジェノバやスペインとの分断を図ったのだろうと思います。
そんな生涯を送るヌール・バーヌーを
シーズン4では、どう描くかこのドラマを視る楽しみの一つです。
■ ソコルル・メフメト
ソコルル・メフメトは、
最晩年のスレイマン1世、セリム2世、ムラト3世の3代にわたって大宰相を務める。
シーズン4第21話では、バルバロス・ハイレッディンの後継として海軍提督に選ばれます。
1566年のハンガリー遠征中にスレイマン1世が陣没しますが、指揮を引き継いだ大宰相ソコルルが遠征を成功させます。
この時、ソコルルはセリムが遠征先に到着するまでスレイマン1世の死を隠す芝居を打ちます。
このあたりの話は、上洛途上で亡くなった武田信玄や巡遊中に亡くなった始皇帝の死を隠し通した故事に似ています。
スレイマン1世の死で幕を閉じるオスマン帝国外伝の最終話でのソコルルの行動が見ものです。
なお、ソコルル・メフメトの名は、世界遺産「ソコルル・メフメト・パシャ橋」や、
※ソコルル・メフメト・パシャ橋はボスニア・ヘルツェゴビナのドナウ河に架かる橋。
ソコルルが建設を命じ、これもスィナンが手掛けました。
青いタイルが美しい「ソコルル・メフメト・パシャ・ジャーミィ」の残されています。
一度は訪ねたいと思っていたイスタンブールですが、オスマン帝国外伝を観てからますますその想いが深まりました。