いよいよ満月。

ギリギリとはいえ、
今月2回目の満月ということで

何となく楽しみにしていました。

ここのところずっと月もキレイで
眺めるのが日課です。


前回の満月の時。

所用で早朝、車を走らせていました。
白んだ空に、それはもうキレイな満月が浮かんでました。

時間に少し余裕があった私は、

行けるところまで追いかけてみよう!
と、月に向かって走らせ始めました。

結構追いかけました。

でもとうとう限界が来ました。
入り組んだ住宅街で道も行き止まり。
タイムリミットも迫っていました。

泣きそうでした。
自分でも驚くほど
月との別れが悲しいのです。

あ~あ・・・と
ため息をつきながら
後ろ髪をひかれる想いで車をUターンさせました。


すると!


なんとも感動的な日の出のシーンが
眼の前にありました。

まさに昇り始めたパワフルな太陽。

(月への)執着を手放したら
(太陽という)素晴らしいものが待ち受けていた。

何か教訓めいている、寓話のような体験をした朝でした。


満月と太陽とのつかの間のドライブ。
また体験したいなぁ。

でも交通事故には要注意ですな。




さて。久しぶりの更新になってしまいました。

最後に更新してからしばらくは

ナニゴトもなかったかのように
漫然と過ぎていき

心中も全く穏やかで

あぁ、このまま私の苦しみも
自然になくなってくのかな、
案外楽勝だったな。。。

なんて、とんだ思い違いをしていたのですが( ̄_ ̄ i)


もちろん、そうは問屋が卸さず・・・


まずは怒りが再びやってきました。
主人の過去に対する怒りです。
そしてもちろん、気付かなかった自分への怒りも・・・

もの凄い注意力と集中力で、
主人の過去の言動をイチイチ検証しては
怒りを込み上げさせる、という
散々やったはずのなんとも不健康な作業が繰り返されました。

それから次には「信頼関係」だとか「誠実さ」
に対する羨望?
自分達夫婦にはもう無い、築けないと勝手に決めつけたうえで
そういうもので結ばれている人達をいーなーと羨ましがるわけです。

そして次に・・・

自分には他に添い遂げるべき人がいるんじゃないか
こんな不誠実で嘘つきで悪びれもしないような人とは
さっさとグッバイして
次行ってみよう!・・・でもいいんじゃないの?

なんてものまで顔を出し始めました。((゚m゚;)

もちろんこれらの気持ちを
主人に対する態度には反映させないように
最大限努めています。

関係も良好。
同じ目標を共有してもいます。


そして。
頭ではわかっているんです。

非もあるんだから、反省して変わるべきところは変わらなきゃ。も
許しなさい。手放しなさい。感謝しなさい。大いなる愛で包みなさい。 も・・・

だけど簡単に拭えない、割り切れない、乗り越えられない
気持ちが残っているのも現実で・・・

ふとしたことで頭を出す猜疑心もフラッシュバックも
現実で・・・

恐ろしいことに
どこかでちょっとだけ

傷つけてやりたい

なんて悪魔の囁きのような事を
思っている私もまた現実で・・・


やっぱり幸か不幸か

夫の不倫を知ってしまう

という一大事に当選してしまった者にとって

そんなすぐにフェードアウトしてくれるような、
そんな簡単なものじゃなかったということに
今更ながら気付きました。。。

私も今ここへきて、こんな発覚直後のような気持ちを
またも記事にするとは!
と驚いてますが

もうこれは

とおって当然の通り道だと
考えるようにしました。

長い目で見ればきっと・・・
過ぎてしまえばきっと・・・

と、そんな日が来ることを
願いながら。


胸を張って大きな声で

「人生って素晴らしい!」
とか
「すべてに感謝!幸せ!!」
とか

そういうノリノリの前向きじゃないんだけど



温かくて満たされてる感じ

じわ~っと静かに
どこからともなく沁み出てくるような


そういう実感がふいにやってきて

鼻の奥もツーンとしたりなんかして


失望や後悔もひっくるめて

自分の人生 を

ちょっとだけ愛しく思える
大事にしようって思える



それが

愛の仕業

ってやつなのかな。



こんな時は

夫のこととか
どうでもいいや と

優しい気持ちになれるので

とても楽。



そんなコトにこだわってる場合じゃない


遠~くのほうで
かすかに

しゃがれ声の

“ What a wonderful world ”

が流れているような感じ。



これきっと

愛の仕業

なんだな。



でもやっぱり
同じように

ふいになにかのきっかけで

フラッシュバックに襲われて

泣けてきたり
怒りがこみあげてきたり
傷ついてる自分がクローズアップされたり・・・



これは多分

愛の仕業

では
ないのだろうな。


「我」の仕業?


いや、もしかすると


そういう気持ちになることも
実は 愛の仕業

だったりして。


何も感じなくなってしまう
その時が


「愛」不在 の

sign だったりして。












壁に大きくにっこりマークと、それとは対照的な顔のマークを並べて貼りニコニコむっ
どちらの顔(=気持ち・態度)を選んでも、あなたが今からやる事は同じ

・・・ざっくりだけど、こんな感じの考えを徹底させて
活気も覇気もなかったアメリカのどこかの魚市場が見事再生した・・・


曖昧な記憶ながら、ずいぶん前にこのエピソードが
よく取り上げられていたような気がする。

それを知ってから私も、仕事の時だけじゃなく
例えばお皿洗う時、掃除をするとき、気乗りしない外出をするときetc.,

「さぁ。どちらの顔を選んでも、やることは同じ!」

と言い聞かせて、ならばにっこりを選ぼうと心がけていた。

哀しいかなそんな心がけもすっかり忘れていたけど
最近またこの2つの顔を意識して過ごすようにしている。

ようは「気の持ちよう」なんだけど、
象徴的なこの顔を思い浮かべて自分の態度を選ぶ
というやり方は、分かりやすくて気に入っている。
確かになにかやるにしても、イヤイヤやるのと
鼻唄音譜でも唄うよな気分でするのとでは、
効率も周りへの影響も、そして何より自分のハッピー度が違う。

それは決してヘラヘラ笑ってやり過ごせという事ではなく
時にはこの にっこりマーク が、勇敢なヒーローマークになるときもあるだろうし
穏やかに微笑むマリア様のようなマークの時もあると思う。

辛い事実を前にしても、顔を選べるのは他でもない私。
大変なことがおこってもそれを乗り越えるために顔を選ぶのは私。

私はいま私を、私自身がハッピーにさせてあげなくちゃならないのだビックリマーク





優等生には中々なれず

落ち込んだり自分を責めたり


ふっ、と

この現実を受け入れられない

自分が顔を出したり


頭はぐるぐるして疲れるし

心は追いつかずに押しつぶされそうだし



だからとりあえず


コレやっちゃだめアレ言っちゃダメ

こうでなければあぁで居なければ


・・・っていう課題は

肩から降ろして


いろいろ考えるのも

ちょっと止めて


口角だけは

いつもきゅっと上げとく


これだけ自分に約束して

しばらく過ごしてみようかな。