能登へ行く 富山で(6)


散歩からホテルに戻り、 
お茶を喫しながら、

「明日は金沢までの移動は
新幹線ではわずか20分ほどで
着いてしまうのは味気ないから


在来線でだと呉羽や高岡、石動いするぎ、古戦場で有名な倶利伽羅峠くりからとおげなども通るので、

私はローカル電車に乗りたいと主張しました。


緑もローカル列車の旅がしたいと言っていましたからすぐに
賛成してくれました。


朝から富山湾の魚介類が食べられて、緑はご機嫌でした。


私は肉や魚を食さないので、
どんなにご馳走が出ても

自宅にいる時とあまり変わり映えのしない朝食のメニューで
済ませ、

デザートだけは葛で作った和菓子をいただきました。


富山から金沢に行くのは初めての体験でした。

ここに来てみて、富山市と
金沢市がこんなに近かったのだと知り驚きました。

以前は富山を目的地として来て、金沢は金沢だけを目指して別々に来たせいなのでしょう。


この2つの市の間隔が東京と横浜の距離にあったのですから大げさですが、1つの発見です。


通学通勤の時間帯を過ぎた後でしたから、列車内の乗客はまばらでした。

呉羽駅に来て、ここが呉羽紡績のあったところだと気づき

前から戦前からの会社が今でも続いている、

戦争に負けて、父の朝日機械はなくなってしまったけれど、


呉羽紡績から化学工場に生まれ変わっていると、緑に話すと
アソとの返事でした。

もう一つ、特にこの路線

倶利伽羅峠を通ってみたかったのは12世紀にあった源平合戦の最重要の戦いが、

別名、比波山の戦いだったと考えていたからです。


加賀の国と、越中の国の国境にある倶利伽羅峠で、源平両軍が
遭遇し、一説には源氏、五千又は三万。平家軍四万五千又は
十万。

いずれにしても、平家が圧倒的な大軍勢だったのです。

源氏の大将は源義仲(木曽義仲)
平家は平清盛の孫(父に重盛)平維盛が大将軍でした。

私は以前、粟津の松原で、琵琶湖の湖水の奥深く、眠る龍神ありと啓示を受けて、祈願祭を取り行いました。


その時は、琵琶湖が巴御前終焉の地とは知りませんでした。


しかし源平の戦いや、平家物語に接する機会に、巴御前の健気な戦いぶりに、女人の哀れ、
愛の儚さなどに
胸を打たれました。

義仲と共に闘い、勝ち戦の絶頂にあっての喜びは、どんなに素晴らしかったのだろうか。


巴御前の人生の喜びの地である倶利伽羅峠を訪ねて、

戦勝の喜びと

自害するときの悲しみの双方に寄り添ってみたかったのです。

明日は、いよいよ能登半島。

奥能登まで行く前のセンチメンタルトレーニングだったのでしょう。


湖水の奥深く眠っていたのは
琵琶龍神の化身、巴御前で間違いないとの確信を得ました。




奥琵琶湖の夕暮れ



まごころのささやきを貴方へ💓