人は自分自身をどのぐらい知っているのでしょうか?

自分を科学しましょう。

先に述べた家系図をまず作り
ます。

役所(区役所や市役所)に行って、家系図を作りたいので、

戸籍を遡れるところまでギリギリまで調べてくださいと食いついてください。

江戸時代の文政、文化時代までは運がよければ先祖様と出会えます。

この後「植物系十二星三魂法」で自分が持って生まれた資質を知ってください。


家系図が出来上がりましたら、

自分または自分の子供を出発点として持っている質は父母、祖父母、曾祖父母とどんどん遡っていってわかる範囲で良いので、

先祖から流れてきている資質を理解してください。

自分を科学するとは、ここで言う科学は、社会科学、心理学、言語学、数理学等の人間科学を指しています。




「和氣流開明学」の完成を志して60年余り研究をして
きました。


やっと9割ほどまでの仕上がり
具合なのですが、

立てた理論の実証実験を行っている段階に入りました。


和氣流開明学の基礎となって
いるのは、植物系十二星三魂法と言魂と数魂の理論と六基理論が新たに加わって、

全く新しい姓名学が誕生し
ました。

この姓名学は和氣流開明学の
一翼を担って、

大勢の人々の支持をいただいています。


改名やミドルネーム、ニックネーム、ビジネスネームによって、運気の流れが改善して、

本人の望む方向に進み出している人々が増えてきています。


親子関係、兄弟姉妹関係、職場の人間関係、友人や隣人との


関係改善には、先祖、祖霊、先祖神を対象にした
「祖霊祭」
によって諸問題が解消されています。


自分を科学した結果、得られたヒントによって、どの未来を開いていくかを決め行動に移し
ます。

未来の最も簡単な定義は、一瞬後から無限の時空です。

無限の宇宙の方がイメージし
やすいと思います。

未来は直後でもあり、はるかに遠い無限でもあります。

未来の解釈には
私たちが向かっている先が未来であるともいえます。

したがって、立ち止まっていて、未来を求めても、何も答えが返って来ません。


未来は過去からずっと追いかけられ続けています。

だから未来は先へ先へ進み、

未来を追いかけなくなった人は、過去の人となっていきます。


現在に生きたいのであれば、
未来をしっかり見つめる必要があります。


未来を開く最善の手段がお祈りです。


なぜ祈りが未来を開くかと
言うと

祈りには限界がありません


もし限界を感じるとすれば、自分が自分自身に限界を作ってしまっているからです。

未来は限界がないのに、

未来を志向していく段階で限界を作ってしまったのではもったいない話になっちゃいます。


限界を感じたら、この限界を破らせてくださいと祈るのです。


限界は意識に消そうとしても、なかなか消えてくれません。

消そうとする行為は、3次元的
努力であって、悪い癖を直そう直そうとして、意識しているときは、治っても


意識しなければ、またその癖が出てしまうのと似ています。


祈りは、漠然と祈るときには、精神的安定を求めて祈ってい
ますが、

明確な目的を持って祈る場合には、祈りの対象とする神霊祖の先祖ラインや

各種のヒモロギに相対しているときの心の状態は

「ゆだねの部分」があります。

つまり、自分の力ではどうにもならない何とかしてください。

お願いしますと自分で積極的に委ねているつもりではないけれど

「何とか頼みますよ」と念じています

若者との会話の中で感じるのは、彼らにははっきりした人生の目標があり、
それに向かってどうすれば目標達成ができるかを考えています。


それを行動に移しているものと、まだ動き出していないものとに分かれますが、いずれにしても、

進む方向は明日なので、
描いている未来像も具体的です。


私の実感は、未来はいつでも待っていてくれます。

未来がないと思っていては、
自分から未来を放棄するようなものです。


未来からはこちらが待ってあげているのに、なぜ来ないんだと苦情を言われます。


未来に向かい、未来に希望を持っている人は、

お祈りの力を実感しているに違いありません。


未来を目指す人は、現在を強く生きれますが、現在にしか興味を持たず、過去に埋没している人は、

過去の人となり、友人さえも失いかねません。


高齢の私が全世界の高齢者に言いたいのは、

小さな未来でも良い、
でかすぎる未来でも良いから、

お祈りの力で、未来に夢と希望と楽しみをぜひとも見出してください。

1度きりの人生ですから!


『今やっているお祈りは必ず未来を明るく開いてくれます』






お祈りのコツ  1

祈りの語源については諸説ありますが、基本的には言霊「い、イ」の意味するところは「生きる、意図する」であります。

のりは「宣るのるまたは、のりは宣言する意である。意を乗せる」
とも解釈できます。

「いのり」の「い」は「生きる意図であり意欲と意志」


生きるためには、命を保持し続けなければなりません。


当然、自らの命も、他の命も害してはなりません。


祈りの「い」といのちの「い」は極まれば同義語になります。


命なければ生きられないし、
命は生きるためにあると考えると

生➕命でも い、の、ち、とも読ませています。



命令は、上位の者から下位の者に対して申しつけることを言い、

命令を受けたものは、指定された行動発言に、必ず従わなければなりません。

そもそも、命とは、絶対的な働きを表し、

大いなる宇宙の働きを「天命」と言い、
魂には天命が与えられ、

肉体には生命が与えられて
います。


限りある命は生命であって、

永遠のいのちは、
天命であると言っても良い
はずです。

若い頃は、生命に従い、歳を重ねるごとに、天命の声が聞こえてくるようになります。


悟りの境地が開かれて天命に
従って、定められた生命が終わり、

命の一部である魂は、
天に返るとも考えられます。


成長期、
学生期、
家住期は生命の声に従い、

林住期に入って天声に従うのが人生の流れですがら

物資文明にまみれた中で、
人生を送っていると、

死の直前になって、やっと、
天命の声に耳を貸せるように
なります。


これは手遅れとしか言え
ません。

せめて、林住期に入る直前で
天命の声を聞けたとしたら、
素晴らしい人生になる
でしょう。

しかし、例外的に15歳前後で、

天の声に従って、
生きた人たちが何人かいます。


そのうちの1人、ラマナマハリシは聖なる山に15歳から入り、

天命の声に従って覚醒し、
大勢の迷える人々を救い、

生涯、聖なる山、アルナチャラ山から一歩も出なかったのです。




真心のささやきを貴方へ❤️