関東圏から30名、インドTSJのメンバーは30名は来てもらえるとして、

関西、東北方面からどんな手段で参加者を募れるかなど、

私たちは毎日のように富士山
噴火が日本全体に多大な損害を与えるかを説きました。

同時に、
人間の集合意識が神の思し召しであって、

富士山の噴火を止めるか、
または弱めるかを共通の願い
として結集すれば

何らかの変化が起きる可能性があると協力を求めました。


東京、神奈川在住の人々は、
さすがに関心が高く、

予想を超える結果となり
ました。

私と緑は連日のように、
祖霊祭を続けできるだけ多く
の人に富士山噴火鎮めにかける私たちの熱意のほどをわかっていただければ、

おのずから参加者が増えると考えました。


私の生涯で初めて14日間連続の祭り事をしてがんばりました。

その間、12鈴ある緒鈴がほとんど落ちると言う奇跡をも体験しました。

緒鈴はいくら真剣に振っても12鈴全ては落ちません。

富士山の噴火鎮めの祈りが如何に大切な祈りなのか、鈴の落ち方でわかります。

一生🛎️の落ちない人もいます。
どんなに祈りを数多く行う人であっても、

私の知る限り1年はかかります。

しかし、私の鈴は、わずか3ヶ月で11個の鈴が落ちてしまった
のです。

私を支えてくれる緑と令修、慧実と4人で行動を共にしたかったのですが令修夫婦は広島から
参加してくださる人たちを、


大型のバスに乗せて、道中のお世話をしながら河口湖に来てくれました。

この日の奉納の舞や歌があり、この音響の機械器具、
楽器などは、

F聖子さんや、K裕子さんが神奈川から運んでくださいました。

夕食は全員バーベキューでしたが、戸沢センターの料理だけでは充分ではないかもしれないと買い足してくださったり、


長野安曇野からMTさんが、野菜スープを運んでいただいたお気遣いに感謝、感謝でした。

右を見ても、左を見ても、皆さんが総力を挙げて、

この歴史的お祈りを成功させようと頑張ってくれていました。

正直なところ、私のロマンに、こんな大勢の人たちから

サポートしてもらえるとは
思っていませんでした。

結局泊まりで参加が127名

当日日帰り参加が10名で
合計137名の参加があって、

所沢センターは大入り満員に
なりました。

本田健さんや日本を代表するような多士済々に応援していただいて、


富士山噴火鎮めのプログラムのメインの1つに、本田健さんと
私の対談が組み込まれて
いました。

淡い幻想的な雰囲気の演出の中での対談は130名の人々にそれなりのインパクトを与えられたのではないでしょうか。

テーマは決めずに、インタビューの名手で著作800万部を超える人気作家の本田健さんが
私に、

次から次へと質問をされ、
初めは、多少緊張しましたが、だんだんと調子が出てきて
楽しくなっていきました。

全国誌ユホビカに発表された対談の記事を見ますと

「魂とつながり直せば病、貧、争は遠ざかる」

が大きい目出しになって
いました。

次に「自然の中で祈るとこたえてくれる」
質問は
「ご神事とは一体なんでしょうか?」

「人生の根っこをつなぎ直していく」

「運気を高める特効薬はお祈り」

「自分が幸せになれば、周囲も幸せになる」

「心身を若々しく保つ魂年齢の自己設定法」

「自分の内側にある神性を活性化させる秘訣」

など多岐にわたります。


野外施設がかえって功を奏し、

聴衆の皆さんの魂レベルの高さも大いに影響して、

高天原たかまがはらの聖地で聖者たちが集い、神聖な集まりが行われているような雰囲気になり
ました。

対談後、大勢の人々から思わぬお褒めの言葉をいただき
ました。

総括すると、
夢のような時間でしたとか、
魂に響きましたとか、
お祈りが特効薬と再認識し
ましたなどでした。

所沢センターに、夜のとばりが下りて静かな時間と空間がやってきたのを確かめて、

私もベッドに滑り込みました。
幸いにして、野外行事が全て
済み、

夜半から雨が降り出しました。

早朝の富士山を拝みたいと、

5時半に起き外に出ましたが
真正面に見えるはずのお姿が
雨に煙って見えません。

富士山に最初に降臨された
「浅間龍神」の祝詞が私を通じて、示されたのは特筆すべき
慶事です。

それと、並行して、木花咲耶姫が鎮座され、二神の祝詞を申し述べると、

なんとほんの一瞬で、雲が去り、美しい芙蓉峰(富士山)が出現されました。

『これぞ奇跡、ロマンが止まりません』







お祈りで楽しむ


人類の文化は「遊び」と
「祈り」で作られたのではないかと考えています。

古人類に関しては、諸説ありますので、最古の人類とのニュアンスを持って、

源流の人類を古人類と呼ぶことにします。

言葉を持っていなかった古人類たちは、
風の音や木々のきしみ、
波が海岸や砂浜に打ち寄せる音、
小鳥のさえずりなどを遊びで
口や手足で音を真似て作って
いました。

作った音を合図や挨拶など、コミュニケーションの手段に用いていて、それが言葉へと変換されていきました。

子供の遊びから祈りが生まれたと考えている動機になっているのは、体験からです。

子供は遊びを作り出す天才です。

いろいろな動物や植物、鉱物
様々な物質に興味を持ち、

実は真剣に遊びを考えています。

「さぁ、これからお祈りを
しますよ」と声をかけると、
子供たちが真っ先に集まってきます。

大人たちは重要性がわかっていても「お祈りかぁ」と、
心の中で呟きしぶしぶ集まってきます。

鈴を振ってのお祈りは、子供たちは面白がって振っています。

大人たちは照れ臭そうに振っています。

祝詞を覚えるのも、子供たちが早く「歌のりと」は特に早く
覚えてしまいます。

子供は、大人よりも遊びを作る能力が高いのは、非認知性能力に優れているからです。

非認知性能力とは、数字にならない能力で、具体的には好奇心
旺盛さや粘り強さ、積極性などです。

言葉でスポーツマンシップと言われて、なんとなくわかってはいても、

数値化できるかなぁとなると
かなり難しいです。

好奇心は大人は子供にはかないません。

発明家と言われる人たちは、好奇心がものすごく旺盛で子供っぽいです。

昨今は、協調性の時代から
多様性の時代に入ったと言われますが、

多様性は子供たちの遊びから
学ぶところが大です。

子供が大人に成長すると、
社会に適応しなければならない環境に置かれて、

遊ぶゆとりと時が奪われ、多様性がどんどんなくなっています。








真心のささやきを貴方へ❤️