魚貝類は全て宇久須ものですと、

禊ぎと温泉ですっかりうち解けた人たちは、

何人かのグループができて、それぞれのやり方でと温泉の夜を楽しんでいました。

和気藹々の見本のような時間を過ごしました。

朝のお祈りの準備のため、5時起きをして、

ビーチにまだ誰もいない。
朝もやの中で神床かむどこを作り、昨日と異なるのは、お供え物を新しくしただけでした。


海の色は空の色に反応して、朝に夕に7色の変化をします。

今朝は、透明感のあるブルーで、日中は良いお天気になる予感がしました。


6時半少し前に全員が揃って予定通りの時間にお祈りがスタートしました。

お祈りが進んでいくと、昨日より多くの魚たちのジャンプが見られ、昨日よりは、

大きな魚が飛び上がって
いました。

鳥たちは昨夕の方が多かったように思いました。お祈りが終わり、早朝に感じた通り、

快晴の空が広がっていました。


土肥湾に立って眺めると左手には小下田と恋人岬があり、右手には小土肥の岩場が見えました。

お祈りが終わって、35人を3組に分けて、エネルギーワークをしようと、

各々の頭頂に祈りで得た自然治癒力を伝え、終わろうとしたときに驚きの声が上がりました。

「虹が出てきた!きれいな虹!」

しばらくして「二重の虹が出ている!」
の声に私は波打ち際に立ってみると

小下田の恋人岬と小土肥の大きな岩場の間に2重の虹が出て
いました。

振り返って、メンバーたちの顔を見たら、今度は「和氣さん、三重の虹が出ました!」と、

驚愕と興奮と感動が湧き上がっていました。

温泉ホテルの支配人と支払いの話をするため、

ホテルのロビーに入っていくと、すぐに声がかかって


「4重の虹が出ました。早く表に出てください。」

の声につられて、急いで砂浜に出ましたが、ほんの一瞬だったのでしょう。

消えてしまっていました。。





しかし、三重の虹を見られたのはこの上ない幸せでした。

後にも、先にも三重の虹はこの時しか出会えませんでした。

虹はすぐに消えてしまうのに4重から3重に、3重から2重に2重から1重の虹に姿を変えても、


恋人岬の小下田から海をまたいで小土肥の巨大な岩山にかかり続けていました。

ホテルのフロントの中に2人外に1人の3人がいて彼女たちも三重の虹を見たのは初めてだと驚いていました。

私が

「お祈りって凄いでしょう!」と言うと、3人が口口に


「そう思います。私たちも大変素敵ものを見せていただいたと
感謝しています。

富士山が噴火したら、この辺は壊滅してしまいます。

もう一つお礼を言いたいのは、このホテルには霊が棲んでいると言われていて、

お客様の中で霊感の鋭い人はたまに言われます。

支配人から聞いたのですが、土肥金山から霊道が通っているのを、途中で遮断してくださったとか、

昨夜は霊の存在は感じません
でした。

そして厚かましいようですが、

もしまた霊を感じたらどう祈れば良いか支配人に教えておいてくださいませんか。」
真面目な顔で頼まれました。

土肥金山で起きた落盤事故の死者の霊だと感じ取った私は

浄霊の祈りをしながら手持ちの月晶を用いて霊道の流れを変えました。

空地に誘導し、海への流れを作ったのです。

祈りの持つロマンの部分は、私にとってお祈りをする高いモチベーションとなってきてい
ました。

瑞道師の一言が私の一生を彩ることになったのですが、

この一言「地震は祈りによって鎮められる。」


が生涯をかけた人生のテーマになるなんて考えてもいませんでした。


1、阪神淡路大震災の余震を止める

2、東日本大震災の余震を止めるため、TSJ(チームセーブジャパン)のチームを作り、

日本を救う意気込みは48人のチームでインドに遠征して、


インド最高の聖者カルキバカバンに面会してどうしても余震を止めないと

日本の国そのものの存続が危うくなると訴え

お力を貸していただきたいと
懇願をして協力を約束して
もらいました。

地震鎮めの活動でインドまで出向いて、聖者に祈りの力を借りる発想は、

私の中のロマンチシズムに基づくものに他ならないのです。

私のロマンに47人の人々が協力をしてくださったのは、

人々の中にあるロマンの部分に点火したからではないかと
思っています。

インドで祈り、瞑想し、講話を聞き、寝食を共にした仲間はその後、

地震鎮めの活動に積極的に参加してくださり、

現在もその友情とパートナー
シップには変わりはあり
ません。


結局、2011年12月30日に大きな余震がある可能性が示唆されていましたが、

インドから帰国して全国77カ所に「七星陣」を治め祈り続けた結果、

ほんのわずかな震動で済み
ました。


TSJチームセイブジャパンは解散いたしました。

メンバーの大部分は活動を続けてくれています。

伊豆、土肥の富士山噴火鎮めの祈りから3年後に富士山の周辺に異変が起きました。

箱根の温泉街にあるお土産屋
さんの井戸水が温泉水に
変わってしまい、

毎日のように有感地震が起きていました。

この情報を当事者から直接聞いた私の中のロマンの部分が刺激されて、

ではと自分の目で見て肌で感じてみたくなりました。

家内との緑の長い友人である
女性からの情報には

インパクトがありました。

私と緑とY君の 3人で箱根に
宿泊して富士山の周辺を
めぐってみようと、

特に富士五湖を回ると何かが
わかるような気がして
いました。

 3人で箱根に宿泊して富士山の周辺をめぐってみよう。

特に富士五湖を回ると何かがわかるような気がしていました。

箱根のホテル、旅館は群発地震でキャンセルが続発して、

通常では予約で満室のところもガラガラの状態でした。


私たちの予約したホテルの宿泊客は私たちだけでした。

幽霊ホテルのような気味の悪さでした。

次の日はまず山中湖から回り始めて河口湖、西湖、精進湖、本栖湖と富士五湖全てを巡り終わって、


河口湖からの富士山の雄姿が3人共に素晴らしいと意見が一致しました。

では、宿泊施設をどこにするかと車を走らせていたら、

河口湖の真北にあるところに
戸沢センターと言う貸別荘が
目につき、

帰路にもし適当なホテルがなければ立ち寄ってみようと話が
決まりました。

車を精進湖から本栖湖に向かっている時、

富士山の中腹より少し上のあたりから煙のような水蒸気のようなものが立ち上っているのが
見えました。

ひょっとして噴火の前兆かもしれないと思ってしまいましたが、

不確かなので黙っていました。

戸沢センターの支配人に面会を求め、私たちの宿泊目的を言い、

富士山噴火の危険性を伝え
ました。


「祈りの力」「月晶の調和力」「人々の集合意識」を持って

富士山の噴火を最小限に留めたいと話すと

大いに同調してくれて、できる限りの協力は惜しみませんと
返事をしてくれました。

戸沢センターの収容人数を伺うと最大で120人と聞き、全棟貸切でお願いしますと

仮契約をしました。

支配人によれば、富士山の噴火は最大関心事でどうすれば良いか、手をこまねいているだけだったそうです。

私たちの手法は聞いたこともなく、大変勉強になりましたと感謝の意を述べられ、


シーズンオフの10月2日、3日でお祈りを
取り行う予定としました。


全棟を貸し切るには120名の参加希望者を集めなければなり
ません。

そこでやるべき事は1つだけ。

祖霊祭に来られる方々に、
全員声をかけるように…








真心のささやきを貴方へ❤️