第一回目は一人旅で秋田の男鹿半島に行った時でした。

旅の目的は、神社巡りと、歴史上の旧跡を訪ね歩く修行の旅に出ました。

秋田市にある大平山三吉神社に参拝し男鹿半島に向けて北上しました。

国道7号線を湯分けて左折して、鵜ノ崎海岸まで行く前に

男鹿市内を通過する途中、

大好きな田舎の一膳飯屋を見つけ立ち寄って腹ごしらえを
しました。

飯屋の親父にこの辺で1番景色の良いところはどこかと尋ねると

「それは入道崎だべ」と

言われて、地図を見ると、
男鹿半島を半周するほどの
距離があり、道路も良くなく時間がかかりそうでしたが、

道中の景色が良さそうな
気がして、よし行ってみよう
と食堂を後にしました。


この辺一体は国定公園になってはいても、 道路整備は追い
ついていませんでした。

戸賀温泉の看板を見て温泉に入りたくなりましたが、日の高いうちに入道崎に着こうと道を
急ぎ、

とうとう目的地にたどり着き
ました。

岩場の手前にあった広場に車を止めました。

可能な限り岬の突端まで行き
つきました。

見渡してみると、釣り人があちらこちらに見え、小舟が目の前を突っ切っていきました。

海に浮かぶ岩に飛び乗り、これ以上もう先に行けないところまで行き、

そこでお祈りを始めました。

周りには、漁師さん達と、一般の釣り人がちらほらと点在していました。

精一杯の声を出して、祝詞を上げ顕彰大神通力を唱え40分ほど祈っていました。

比較的近いところにいた船頭さんがやってきて、沖の水平線の方を指差して

「見てみろ。見てみろ。海坊主だ。」

と、大声で叫ぶと、それを聞いた釣り人たちも、海坊主だ、と、叫び声をあげていました。

小舟で寄ってきた漁師さんが

「お祈りをしてくれて、
久しぶりに海坊主を見れた。明日は大漁だぞ、ありがとう!」

と言って、小舟でどこかに行ってしまいました。

私が海坊主を言われて見たのは、海が持ち上がり坊主頭のように丸く見えたのですが、それが海坊主なのかどうかは分かりませんでした。

予約してあった男鹿温泉の湯本荘に行き、旅館の女将にその話をしましたら

「私は直接見た事は無いけれど、泊まりのお客様の話を総合するとお客さんの言う海坊主なのだと思います。

話によると海にいる龍神さんがぐっと頭をもたげると海面が丸くなるのだそうで、

漁師さんの言った明日は大漁だと言うのも聞き覚えがあり
ます。」
と言われました。


私が思うには、
海坊主の正体はそれが見えると大漁になると言うところから
考えると魚の群れが大量に集まると、

何かの拍子で海面がせり上がるのではないかと思いました。

しかし、私の見た海坊主は、
男鹿半島の夕日に照りなえて、

神々しく見え海龍神と称えるに値する神聖な気を感じました。



この夜は神霊祖にお礼の祈りを捧げ、朝まで気を失ったように
熟睡しました。





次の海坊主体験は3.11の翌年

2012年10月15日に相模トラフからつながる震源ポイントが
房総半島の銚子沖にあると見当をつけました。

昨年からの震災の恐怖を乗り
越え、
地震鎮めに再び立ち上がった
時でした。

現実は最も大切ですが、そこから逃げずに向かっていけるのは

「お祈りの力」であり、

そこから生まれる
ロマンのなせる技
ではないかと思います。

現実的な対処は失敗で終わってしまいますが、

ロマンは1度や2度のつまずきでへこたれません。

お祈りは人間の最終手段では
ありますが、

祈りから生まれたロマンは、

人生に活気と勇気と冒険心を
掻き立ててくれます。

地震ポイントは銚子沖の外れたところにあるのも興味深い
ところです。

私の声かけに、すぐ6人が応じてくれて、7人の侍いが揃いました。


女性が4人、男性が3人で広島から私と女性2人、東京から男女
栃木から男女と合わせて7人
です。

7人とも銚子にはなじみがなく、お祈りの場所を特定するまでに時間がかかっていました。


衆議が一致したのはヨットや釣り、船、ちょっと高級なクルーザーなどが停泊している銚子マリーナの突堤が良いのではないかと意見がまとまりました。



美しい海を眺めながら、皆んなにこの先の海底に、

日本列島の陸のプレートとその下に海洋プレートが沈み込んでいる場所があると説明し、

続いて海洋プレートが動き出すとマグニチュード6.7〜マグニチュード7.3クラスの巨大地震が

2年以内に起きる可能性が約70%予測されていると説明しました。

相模トラフが動くとそれに連動して、日本列島を囲む込んでいる数々のトラフの中で、最大のトラフが南海トラフです。

これが動くと最悪の大震災となってしまいます。

トラフとは、深海底の凹地のことで、両側が緩やかな斜面で、
かなりの広さと幅があり、

細長く続いている海底の地形を言います。

七人の侍の承認数での巨大な地震のエネルギーに、立ち向かう意気込みは、数千万人の軍隊に突入するようなものでした。

私たちには、20代遡っただけで、200万人のご先祖様がいて
か100代遡れば1人に数千万の神霊祖があるはずだから、

現世に生きる一人一人の意識が高ければ、必ずや、私たちの願いを聞き届けてくださるはずとの思いを、胸に秘めて、

決死の覚悟で、地震鎮めの祈りを行いました。

遥か、彼方の海底にある相模トラフの終点に、焦点を当てて

「どうか、地震エネルギーの分散によって、大規模地震を小規模地震で大難を中難に、中難を小難にしていただけるよう又、人命だけは損なわれないよう
お守り下さい。お願い申し上げます。」
と、祈りました。


お祈りの途中から、数え切れないほどのかもめが集まってきました。

逆に、たくさんいた船ムシたちが足元からいなくなっていました。

お祈りが終わり、海に向かってお塩とお米と御神酒を捧げ、
海、山、野の種々物の中で、

魚の餌になりそうなものを
気合とともに差し上げていると


海坊主が出現しました。

私以外は、全員初めて肉眼で見る海の龍神に驚きと感激の二重奏で、私も含めてしばらく立ち
尽くしてていました。

女性たちは「和気さんから
海坊主のお話は聞いていましたが、本当にこの目で見れて幸せでした。

ほんの数秒ぐらいだったと思いますが、目や口もあったように見えました。」

1人の女性は
「お祈りをしていて、足元に船ムシが沢山いて、気持ち悪いなと思っていたら、いつの間にか1匹残らずいなくなったのにはびっくりでした。」

この女性は、虫が嫌いで、顔が
青ざめていました。お祈りすると、船虫はいなくなるかもしれないから、一生懸命祈ってください

と言っておいたので、なおさらだったのでしょう。


お祈りが終わって、美しい景色を見たり、屏風ヶ浦びょうぶがうらの屏風に見える奇岩を眺めて
いたら、

今まで快晴だったのに、いきなり雨が降り出してきました。







真心のささやきを貴方へ❤️