夜明け前は暗いと言われますが正真正銘真っ暗闇で、

旅館を一歩出ると、懐中電灯がなければ足元さえ見えない暗さでした。



旅館の玄関から砂浜に出るには踏み石をつたわって歩いていかなければなりません。


その踏み石を照らし出さないと前に進めないのです。

女性3人は真ん中の人が懐中電灯を持ち、3人手を組んで無駄なく上手に歩いていました。

暗さにパニックになっていた
男達の幼稚さにガッカリして
いました。

この時の光景が女性が手を組むと強いと印象付けられました。


女性は単独より3人組が良いと
チームを作る際の最小グループ単位を3にするよう参考になり
ました。



現在和氣流の役員は内部3人
外部3人の6人体制です。


お祈りの準備が整い、波打ち際より、昨夕よりはもう少し下って整列をしました。

昨夕神床を作っているのでその経験を活かして太陽の昇ってくる方角に

垂直になるように神床をしつらえました。


水平線が少し明るくなって来ると、そこにかかっている薄雲が濃いピンクに染まり始め
ました。


この雲が地震雲と知っていなければ、なんと美しい雲なん
でしょうと感動するところ
でした。


段々と水面が明るさを増して
来ました。

遠くの方に朝の漁をする漁舟の灯火がチラホラと見え、


「太陽が昇ってしまったら見えなくなるだろう」

なんて考えながら日の出を
待っていました。

お祈りは日の出と同時に始めようと打ち合わせしていました。


全員が集中して太陽が顔を出すのを待っているのは、

初日の出ぐらいですが、

こんなスペシャルな瞬間は滅多にないと思いを深くしました。


太陽が真っ赤な顔を海の向こうからニュッと出しました。

ウォーという言葉にならない
感嘆の声が上がりお祈りが
スタートしました。


淡々と祈っているようでも
若者達が、地震鎮めにかける
気合いの入り方が快い強さで

私の胸の中に感じられました。

女性3人は涙をにじませながら
感動していました。


お祈りの途中、水平線上に見えていたピンクの地震雲がすっかり消えてしまいました。


お祈りが終わると口々にお祈りって凄いね。

と言いながらも

女性達はお祈りによって地震雲が消えたと言い、

男性は半信半疑と思っているのは明らかでした。

本来あるはずの群発地震を感じないまま地震鎮めが終わってしまいました。




その後ニュースで今井浜の群発
地震は沈静化しましたと
発表されました。


今井浜の群発地震を興味半分で鎮めようとして
13人が祈りを共にし、



女性3人がこのお祈りで地震は
沈静化に向かったと本気で思っているのかどうかを

確かめたくて3人と会いたいと
アポを取りました。

当時まだ珍しかったファミリーレストランが新宿に出来ていて、そこに夕方仕事を5時に
終えて

6時には集まれるだろうとアバウトな6時に集まることにしましたが

全員6時に揃っていました。


「あれから2週間ですね。新しい体験をして楽しかったです。」


と言うと3人ともVの字に腕を上げて
「楽しかったです。有難うございました!」

と言ってくれました。

メニューを見ながらまず注文しようと言った後

「お呼び立てしたので私のオゴリです。」と言うと

又歓声が上がりました。

女性は綿密にメニューを見て決まるまでに時間がかかりました。

ドリンク類を先に頼んで揃ったところで乾杯した後に

「早速ですが皆さんにお聞きしたいことがあって集まってもらいました。

当然地震鎮めについてです。

その前に伊豆まで来てくださりお祈りに参加して頂いて有難うございました。

最初は男性ばかりだったのですが、三女神に参加してもらって良かったです。
今改めてそう感じています。」


と感謝を述べると、くすぐったそうな顔をして首を左右に振り

「私達こそ参加させて頂き感謝と感激でした。」


3人に何故お祈りによって長く続いた群発地震が修まったのだとわかったのですか?と問うと


「それはピンクの地震雲が消えたのと、お祈りの途中で海面に白い波がかすかですが、立っていました。

魚が急に飛び上がったのも
見ました。

鳥達がどこからともなく現れては去り又現れて、中には海面スレスレに飛んで来た鳥もい
ました。

そしてお祈りが終わったら全く魚は飛び上がらなくなったし、鳥達もこなくなりました。

これだけの自然の変化を創り出せたお祈りは凄いと思いました。」


と地震が静まった吉兆を彼女達は良く見ていました。

私は残念ながら祈りに集中していて自然現象が起きていたところに注意がいっていません
でした。


女性は間違い探しゲームは男性よりも強いと聞いていました。

それを思い出して広角に反応できる女性の能力を再認識し
ました。



1995年1月17日、午前5時46分に阪神淡路大震災が起きてしまいました。

淡路島北部が震源地で、
マグニチュード7.3の巨大な地震でした。

マグニチュードとは地震の大きさを表す数値で、震度は揺れの
強さを表すものです。


都市直下型地震としては最大級であり、火災も発生し甚大な
被害を受けました。

死者は六千人を超え負傷した人は4万4千人に達し、全壊家屋が10万戸以上、戦後最大の災害で、同規模程度の余震が予想されました。

私の中のロマンに火がつき
ました。

白い大きなビルが傾き、徐々に倒れる姿を見て、

今井浜に地震鎮めに集まった
私を含めた13人に召集をかけました。

関西方面に居たメンバーは2人とも無事でした。

1人は大阪の南区でしかも繁華街のど真ん中に住み、
1人は震源地にちかい西宮市に
住んでいました。

この2人は何しろ切実です。

無条件でどうしても余震だけは止めたい、

この状態で大きな余震が来たらもう関西は壊滅してしまいます。

と私の呼びかけに大喜びで来てくれました。

東京の世田谷区の拠点に13人が集まり、これからの地震鎮めの活動計画を立てると決定し
ました。


13人の中でやはりまず中心に
なる人を決めようという意見が出て、私以外の全員が私に視線が集中しました。


この中の私の次に年齢の高いA君が
「先生は確か神戸あたりの生まれだと記憶していますが私達よりはご縁の深い先生を中心に自分達が結集するとして、

先生にはなるべく負担をかけないように、皆と力を合わせて
地震鎮めを実行すると決めさせてください。」


私は何も言えない雰囲気に呑まれて首を縦にふりました。


A君が議長役を買って出て

「次は何処でやるかを提案してもらいたい、例えば神戸側なのか震源地に近い北淡路にするのか、

その時女性の1人が慶の松原はどうでしょうかと提案があり
ました。

事務局を引き受けてくれたN君が、鳴門の海から氷河期にあった地球が溶け出したと

伝説かもしれませんが書かれています。

鳴門海峡は不思議な霊力があると思います。



S君も鳴門の渦潮は世界最大級であるし、お祈りの場所の1ヶ所は鳴門がいいと思う

以前に禊ぎをした経験から
凄いパワーがあるから少ない
人数でお祈りをするとなると

渦潮のエネルギーを使うべきだと思う。




真心のささやきを貴方へ❤️