ロマンという言葉はフランス語から生まれました。

一般的には、夢や冒険、理想などを追い求める心模様や行い、表現としては
「ロマンがあるね」とよく使います。

フランス語とはラテン語の口語である俗ラテン語に起源を持つ言語の総称と言われています。

フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル、ルーマニア語、カタロニア語などがロマンス語に含まれています。

日本ではロマンを浪漫と意訳しています。

日本人のロマンのイメージは、ご来光を1人で見るよりは恋人と2人で眺めて、

2人の幸せを祈る方が
ロマンチックなイメージが
あります。

男性1人や女性1人が美しい光景を見ていてもロマンチックな
甘美さを日本人は感じないの
です。

やはり、今の時代は男と女、女性の2人組、男性の2人組などにロマンチックさを感じるの
でしょう。

日本人のワビサビの感覚から
ロマンチックは感傷的➕情緒的➕甘い雰囲気🟰ロマンチック
です。

お祈りは全方位、無限の空間、無限の永遠に流れて移ってゆく時などに対応できる唯一無二、

お祈りが人間の為し得る
最終手段です。


ここからロマンが生まれて
来ます。

私の言いたいロマンとは常識で考えて出来そうにない事を
本気でやってみようとする考えと行動、

但しそれが世のため人のためになるのが前提としています。


私のロマンは唯一の師である萩原瑞道師の「ひとこと」から始まりました。

あの日あの時あの場所で若者達の滝行が終わって寒中でした

から寒さしのぎに酒盛りを
にぎやかにしていました。

そこにいた仲間の1人が今井浜(伊豆)の群発地震について、毎日数十回の地震があって


地元の旅館などお客が来なくなって困っているそうだと言っていたところに瑞道先生がフラッとやって来られて
「地震はお祈りによって鎮め
られるのだよ。」

と仰って立ち去られました。

好奇心旺盛な若者たちの、

ケンケンガクガクの議論が
始まり最初は否定的意見が多かったのですが、


段々と先生は嘘を言われる
はずがない。

皆んなで今井浜に行って自分
たちの祈りの力でどう通じるかわからないけどチャレンジしてみようと決まりました。



それぞれ口では勇ましい言葉を発しながらも、

内心ではお祈りで物理的な地震が鎮まるはずなんてあるものかと想っていました。

1人が先生を持ち出したので、
今井浜に全員で行こうということになり、

今井浜で一番立地の良い老舗の今井荘を予約して季節も良し、

地震鎮めという若者にとっては大義名分のある温泉旅行です。

しかも世のため人のためだと胸を張っていましたが、

中身的には地震鎮めを酒の肴にして大いにやろうが本音
でした。

三三五五、東京、千葉、
神奈川、埼玉、福島、名古屋、大阪から15時集合でやって
来ました。

新しい試みなのでニンマリ顔でした。


初めは男性のみの参加でしたが
3人女性がどうしても参加したいと熱望されて

「三女神でいいかも
しれないよ。」の仲間の声に

受け入れが決まりました。

三女神の中の1人A子さんは幼い頃に地震を経験し、

一種の恐怖症になったのを契機に地震についての知識を得て

恐怖症を乗り越えようとしている最中だと言っていました。

地震のメカニズムについて
とても詳しく、

地震にはいくつかのタイプがあると教えてくれました。


男達はただの勢いだけで集った一種の鳥合の衆のようなもの達ばかりでしたが、

彼女達の加入で地震鎮めの活動が本気になりつつありました。


私は落日の気を使って鎮めの
エネルギーをもらおうと提案して夕方の祈りと明朝の朝拝をする予定が決まりました。

まず砂浜の波打ち際から5メートルほどの所に旅館から長机を借りて、

そこに祭壇を設けました。

祈りのヒモロギに水晶の三分玉を中心にして、

お酒と米と塩を供え、お祈りが終わった後の酒のアテになり
そうな

伊豆名産のアジの干物や煎餅類わ駄菓子、果物などを供えると立派な神床になりました。

太陽が夕日に変わり出すと、

水平線付近に見える雲がピンク色に染まり始めました。

誰かぎ綺麗な夕暮れだと声を上げると地震に詳しいA子さんが


「あのピンクの雲が地震雲なのです。

夕日に染まっているだけでは
なく

地下に地震のエネルギーが溜まっていると薄い低い雲に反映してピンク色になるそうなの
です。」
と。

地震鎮めの祈りの方法については瑞道先生にアドバイスを頂いてきていました。


地龍神の祈りのあとに「正力通天」の祈りをすると効果があると教えて頂き、

全員で心と声とテンポを合わせて祈り続けました。

最初は目を閉じて正力通天を
唱えていたのですが、

途中目を開けてみると心もち
ピンクの色が薄くなっている
ように見えました。

水平線が暗くなり始めたところでお祈りをやめました。


異口同音に気のせいかもしれないが、ピンクの地震雲の色が薄くなったように思えたと言う
言葉に何人か同調しました。


いつも悲観的な意見を言うN君が

「ピンクの色が変わったように見えたのは太陽が段々沈んで行ったからだよ」 
の言葉に、

ピンク色がうすくなった説は引っ込みました。

お祈りが終わって仮の神床の後始末をしていると後輩が来てくれて、水晶は私が治め、

酒などの供物は彼に私の部屋に持って行ってもらいました。

机は明朝も使うから夜露にぬれないようにしてなどと指示を
出し

明日の本番に備えました。

夕拝の全てが終わっても名残惜しそうに砂浜にしばらく二、三ヶ所に何人かがたむろしていました。

夕食ですの声かけで一斉に旅館に入り、広間に全員集って小さな宴会が始まりました。


「明日は5時起床でお祈りは6時開始です。

明朝太陽が雲に邪魔されなければ重要なしかも、
歴史的なお祈りになります。

今夜は歌踊りなしですが大いに語り合ってください。」

男性10人は3,3,2,2 ,4部屋に分宿、女性3人は一部屋で、

私の部屋にお供え物のお酒やツマミを持って来て

3人部屋に13人が集まって他愛がない楽しいお話に花が咲いて真夜中まで、

なるべく静かに騒ごうと話しに興じていました。

人間関係の悩みや人生論あり、成功哲学や宗教などの豊富なテーマが議論にのぼって
いました。

不思議なのは地震鎮めの話題がありませんでした。
なぜだったのでしょう?

いっとき静かになったと思った朝の4時半にはもう起き出して、

お祈りの準備を始める人、
自分の身支度に時間をかけている人、

ギリギリまで寝床にしがみついている人など砂浜に5時50分集合と声をかけておくと

ピッタリに全員が集合して
いました。




真心のささやきを貴方へ❤️