私は両親からお祈りを強制されたことはありませんでした。

時々気が向くと父の後ろに
座って祝詞のりとを口ずさんで
いました。

すると父がもっと大きな声で
はっきりと言うといいと
言ってくれたりしました。



それを思い出しながらこの家の主人になった気分で毎日祈り
続けているとふと不安が頭を
よぎり、


自分が働いて妹達や弟を養わなければあらないのではないか、

それが長男の責任だとご先祖さまから言われていると
受け止めて、

女中頭のお仲さんに

「父も母もこの家に帰って来ないので、僕が長男として妹や弟、お仲さん達への給金を働きに出て稼ごうと思うのだが

どうすれば良いのだろうか教えて欲しい。」

と言うと、いつもふざけてばかりいる私が妙に真剣な顔で言ったのが余計におかしかった
のか、

プーッと吹き出し、しばらく笑いがおさまらず、

やっと正気に戻って
「坊ちゃま、生活費は旦那様
からきっちり頂戴しています
からご心配はいりません、

それよりも妹さん達や弟さんの面倒を見てあげて下さい。」

と言われ、ホッとした反面、
お仲さんから言われた言葉の
中にあった「世間知らず」の

言葉が気になっていました。

私の中で父の代わりにお祈りをしているお蔭で、

父を「お祈りしている父」
母を「神事に精通している母」

との受け入れ方が明確になり、

両親を信用する気持ちが強く
なりました。

父には父なりの理由があって
離婚を決断し、

母にはどうしても相容れないところが父にあって、

2人とも真剣に考えて離婚に踏み切ったのだと理解できたのです。

74年前の出来事を今でも鮮明に思い出さされるのは、

祈りには年齢制限がなく、


必要なものが適切に与えられる凄さに感動したからに違いありません。







真心のささやきを貴方へ❤️