昔風に言うならば家長である

父を説得するのはなかなか

難しく


継母である恵津さんに協力を

求めました。


彼女は

「分かりました。


協力しましょう、でもお父さんは日常何事もない時はやさしくていい人なんだけど、



自分の意に反することになると梃子てこでも動きませんよ。



でも言うだけで言ってみます

からね。」


と協力的に姿勢を示してくれました。


しかし父の牙城がじょうは固く、

結局何回か父に伝えてくれた

ようですが、



「やっぱり私の力の及ぶところではなかったです。」


と白旗を上げました。



この時代は結婚式をせずに

一緒に暮らす発想は余程事情

がない限りありませんでした。



友人達は私と父とのやり取り

を聞き、どうにかしてやりたいと思ってくれたようで、


会費制の結婚式をしたら、

どうかと提案してくれました。


それというのも父親の同意が

得られなかったら結婚式の

費用は入社間もないサラリーマンでは出せるはずもなく、


私にとって周囲の人達が会費制でやろうと言って下さったのが救いの神の声でした。



私の考えの中には会費制結婚式はあったのですが、


自分から言い出し難く、これでなんとかなると思いました。


岸井友子さんと話し合いを

して、


まず結婚式は私の家族(弟、妹、従兄弟)親戚、学友などが在京の人達が圧倒的に多いので、



東京で行うとして出席者が

約70人ほどになりました。



親の反対を押し切って挙式を

するところが面白そうだとか、



或る男性は痛快だとか、


25才と23才の若者を応援する

気になってくれたようで

お祝いを申し入れてくれた


人達が次々に出てこられた

のにはびっくりしました。







真心のささやきを貴方へ❤️