令和5年8月10日



第194回目

蘇我馬子は当代きっての

文化人だった


蘇我馬子に近付けば近付く程、

いままでに伝えられている
権力欲に旺盛で、謀略の得意な

天皇をも恐れぬ傍若無人ぼうじゃく
ぶじんで気ままな人物とはかけ
離れた人物像が浮かび
上がって来ています。



聖徳太子に大陸より伝来した、先進の文物である五経
(詩經、
書経、
易経、
春秋、
礼記や

論語、
孟子、
大学、
中庸の四書。

これに加えて老荘ろうそうの思想
の基となった
老子ろうし
荘子そうし
孝経こうきょう
墨子ぼくし
菅子かんし
韓非子かんぴし
史記しき
文選もんぜんなどの今で言う
中国古典は、

馬子のお声がかりで、
太子の手に渡されたふしが
あります。



戦前の我が国に西洋かぶれと
言われた人達がいて、

欧米と大きく対立した時には、断圧されましたが、

戦後は欧米の先進文化こそが
日本を立ち直られるとして
活躍した時期がありました。


それと同じようなことが
古代の日本で起きていたと
私は思っていました。

そんな小さな文化文明の
うねりではなく、

その影響は現代の日本社会に
も根強く残っています。


日本人の精神構造は
神仏共存
する状態が変わらず

現在から
未来に向かっても大きく変化
するとは思われません。

聖徳太子の父であり、
蘇我馬子の姉(堅塩媛きたしひめ
の子、

つまり馬子の甥である
用明天皇が朝廷に群臣を集め

「朕三宝に帰らむと思う。」

と宣命せんみようされたのは
日本史上驚地動天の大事件で



あると思います。








真心のささやきを貴方へ❤️