12階位説
推古帝は厩戸皇子に
馬子の了解を得て、
皇太子の地位を与え、
摂政として天皇に次ぐ地位に
就かせました。
馬子にも異論はなく
推古女帝と敏達帝の間に
生まれた竹田皇子の命を
縮めたのは自分で
まだ13才の厩戸皇子を守る
よう竹田皇子に頼んだこと
によって皇子が自分の命を
懸けて厩戸皇子を
守り抜いた結果が天才の
聖徳太子をこの世に出した
と考えていました。
馬子は推古女帝の心の内を
も読み取っていて
「お上に申し上げたいのは
厩戸皇子を皇太子に就かせた
結果、
竹田皇子の霊たましいと
亡き用明帝の、
み霊たまが喜んでおられるのが
私には手に取るように
分かります。
志半ばで散った人々のため
にも私達は争いのない
平和で安心して人々が生活を
楽しめる良い国作りをし
なければなりません。
それが供養ともなり
ましょう。」
推古天皇が
「朕は大臣や太子が朝廷を
秩序あるものにしたいと
考えているのは分かって
います。
そこで如何にして、
どのような序列を定めれば
良いかをまず議論しては
どうでしょうか。」
馬子が
「朝廷に勤める官史を
何段階に区分すべきかを
考えてみましょう。
多過ぎても少な過ぎても
うまく行かない気がします。
太子に何か考えがあれば
お聞きしたい。」
「何かの根拠に基づいて
階位の数を決めては如何か
と存じます。
例えば一年は12月、
1日は12刻、
12支もあります。
阿弥陀如来の12光があり、
吉凶を占う12直もあります。
音曲も12音階に分かれている
と聞き及びます。
私見としては12区分がよろし
かろうと思います。」
太子の高い見識による意見に
は推古帝も馬子も何らかの
意見を差しはすむ余地は
ありませんでした。
真心のささやきを貴方へ❤️