令和5年7月12日





第166回目

馬子は厩戸皇子等を伴って
出陣!



馬子は一族の中で最も希望
を持って将来を期待して
いたのは

用明天皇と
穴穂部間人あなほべはしひと皇女の
間に生まれた

厩戸皇子うまやどのみこでした。

後の聖徳太子です。



馬子は自分の持っている
才能の全てが

厩戸皇子に伝わっていて
しかも父帝よりもはるかに
健康に恵まれ、

しかも自分にはない不思議な
能力を持っていると見て
いました。

この皇子に国の未来を委ねれ
ば間違いなしと想って
いました。

厩戸皇子13才の初陣ういじんです
ので、

年長者である額田部皇后ぬかたべ
こうごうと欽明帝との間に
生まれた竹田皇子に、


馬子はくれぐれも厩戸皇子を
守ってくれるように
頼みました。

一方、物部守屋は馬子の
本気度に対応すべく居館は
もとより、

防御線を張り二重三重に
防備を固めました。


周囲には周辺から木材を切り
出し攻め手が近づきにくくし、


矢を射かけやすい距離に防柵
を作りました。

その周りに稲城を築いて守り
を固めました。

稲城とはわら束を積み上げて
胸壁として敵の弓矢を防ぐと
ともに、

神(稲荷神)の
ご加護を願う意図もあります。


馬子の軍にはその後、
平群氏へぐりしや坂本氏なども
参陣して大軍勢となりました。


馬子は逆に軍勢がふくらんだ
事に不安感がつのり、

戦上手の物部守屋に虚を
突かれるのではないかと
慎重にならざるをえません
でした。


しかし馬子の能力は守屋の
上を行っていて、


自軍の兵員には丈夫な防具を
与え、皇子達は高価な
甲冑かっちゅう(鎧よろいと冑かぶと

を着用させ万全を帰して
いました。

長期戦にそなえて兵站へいたん
も充分気を配っていました。

兵站とは戦闘部隊の後方に
あって、

食糧、兵器、増援部隊などの
補給や連絡にあたることを
言います






真心のささやきを貴方へ❤️