3月30日  大船の桜🌸



第61回目

おやじ殿、人生の最後の野望




私の父親への呼びかけ語は

「おやじ殿」でした。

戦後十数年経った頃、
父に呼ばれて実家に行くと
父は楽しそうに、

肘掛け付きのソファーに
座って、リラックスして
いました。


「おやじ殿の特別なお呼び
出しは何か重要な問題でも
起きたのですか?」

と尋ねるとおもむろに
「わしは来年67才になる、

そこで人生最後の挑戦を
しようと思っている。」


これは意外な発言でした。

父の会社は社員数70人ほどで、

まずまず利益も上がって
来ていて、

いたって順調なのに
どうして?

という疑問が私の中に湧いて
来ました。

それというのも父は転業を
繰り返し、自慢は

「わしは豊臣秀吉よりも
多く職を変えた。

しかし失敗も成功もあったが
金に不自由をしたことがない、

つまりわしは富貴の運を
持っているからだ。」

と度々同じセリフを聞か
されました。

ところが私が高等学院(全身は以前大学の予科3年、
本科3年だった頃の予科が高等
学院に改変されたもの)

から大学の学部に進むに
あたっての入学金がないも
父が言い出し、

私に「君は当家の長男である
から一つ相談だが、

この家の家宝である
名刀相州信国の大小を
処分して、

君の入学金に充当したい
のだが、
家宝を売ることに賛成して
くれるかどうか?」

私はこの時17才、賛成する
以外に答えを見つけ出せ
ませんでした。


後になって考えてみると父は
金に不自由はしていないと
いつも豪語していたところから、

父にとっては何の役にも
立たない家宝を売って
事業資金に当てようと
しましたが、

ふと気が咎めて、私に背中を
押させたのではないかと
気付きましたが、


今になってみるとそれを
確かめるすべはありません。


父は68才の時に東北最大の
婦人服縫製会社を立ち上げ、

社員数は1,000人を超えて地域
振興に貢献していました。



父親の命の齢を超えると

感謝
心がまさかこんなに大きく

成長するとは
驚きです!








真心のささやきを貴方へ❤️