8月31日 昼と夜のスカイツリー








地震鎮めの祈りを永年続け
て来たお蔭で

覚りとまでは

行きませんが気づいたこと
があります。



「乗り越えられない
    苦しみはない。」


苦しみはほとんどが自らが
作っているものなのだと
気付きました。


そのきっかけはいくつか
あります。

私の少年時代は主に
和歌山県や大阪などの
関西圏で育ちました。



関西ではその当時納豆を食す
習慣がなく、

母に納豆は体に良いから
食べなさいと言われ口に
入れた途端納豆独特の
強い臭いと

ねばねばした口当たりの
悪さに吐き出しそうに
なりました。

母の恐い目が注がれていた
せいか急いで飲み込みました。


「どうお」と聞かれて嘘は
言いたくないので

「あまり好きじゃない!」

と言いました。


その後母の「体に良い」と
いう言葉と関西から関東に
移り住んで関東ではしきり
に納豆が食べられていて、


いつの間にか納豆が好きに
なっていました。

最初の納豆の一口は私に
とっては苦痛でしかあり
ませんでした。

外国(特に欧米系)の人達
の日本食の中の苦手の
1位、2位は納豆と梅干し
だそうです。


今好きな食物の第1位は豆腐、

2位が納豆、
3位が日本そばです。

納豆が私に苦しみを与えて
いるわけではなく

自分で
納豆は嫌いという感情を
作り出しているだけだった
と気付き、

それに付随して人に対して
の苦手意識や

特定な人と
どうしても一定の時間を
共に過ごさなければならない
際の苦痛も

根底にあるのは自分が
作り出している感情なのだ
と気付きました。


人間の苦しみは追求すれば
する程深くなります。


三次元世界に生きている
私達はご先祖さまの
あがないを済ませ、

幸せな人生を送るために
この世に生まれて来ています。


私のように高齢に到った者が

「自己存在の苦しみ」や
神との分離の苦しみ」

などの難解な苦しみに向き
合って幸福感を感じられれば
問題はありませんが


そうではなく自力で解決の
出来ないような難問に
遭遇した場合には



壮大な大自然の中で

「宇宙や世のため、人のため」

に目的を持ってしっかり
祈るうちに

魂の浄化と解放が起き、

内側からそこはかとなく、

何が嬉しいわけでもなく

訳もなく
魂の喜びが自然に湧き
上がって来るものです。

そしていつの間にか難問が
消えてなくなっています。

試してみて下さい❣️




真心のささやきを貴方へ❤️