私の夫が心配していた通り
上皇様には旅をして
智識寺を始めとする
河内6大寺めぐりは無理
であったようで
智識寺のみ
のご参拝となりました。
智識寺に斎いつかれていた
盧舎那仏と
聖武天皇時代
に出会われて大仏造立の
きっかけとなったことも
あって、
どうしてもご自分の足を
運んでここまで来たかった
のでしょうと孝謙様が
仰られたので、
私の中で
納得が行きました。
私は孝謙様のお側近くに
お仕えしていますが、
いつもは必ず配下の女嬬じょじゅ
や他部所の女官、役人達が
出入りをしています。
孝謙様とそうお話しをする
機会が沢山あるわけでは
ありません。
ですから行幸のお供で
参る時はより近い距離で
会話ができます。
私を妹のように思って
下さっていますので、
なにかと他人には漏らせ
ないようなご発言もあって
楽しい時間を過ごさせて
頂いています。
これも夫の受け売りですが
聖武上皇様の血流をお受け
になった孝謙様は
持統女帝様から続く尊い
流れの御方で
お生まれになった時から
皇位に就かれることことが
運命づけられていたのだと
聞かされました。
その上父の聖武上皇様は
誰もなし得なかった大仏を
鋳造によって完成させ
ました。
これから何百年も何千年も
この世界に存在し、
世を照らし続けられること
になるのですから、
歴史上の天皇様の中でも
巨大な存在として未来永劫
に語り継がれるで
ありましょう。
この偉大な聖武上皇様が
皇太后様や
孝謙様などを伴って
難波宮のお入りになり、
休養されたにもかかわらず、
再び発病され、
急ぎ平城京に戻り病臥びょうが
されてしまいました。
全国の国分寺、国文尼寺、
その他の神社仏閣などで
病気平癒の祈願が行われ
ましたが、
756年5月2日、
平城京内にて崩御されました。
56才のご生涯でした。
真心のささやきを貴方へ❤️