5月29日









平和な日々が続き皇太后様
が時折り内裏だいりに立ち寄ら
れるようになり、


私と孝謙様とお話しをして
いるところに

皇太后様が
お話しの輪に加われました。


そこに宮子皇太后御付き
の役人が息せき切って

「皇太后様は何処いづこ
おわされますか。」と

言って私の女嬬に問うて
来ました。

相当に慌てふためいている
様子に何事か?

と少し声を荒げると
太皇太后宮子様つい先程
身罷られました

との報に接し、

皇太后様は紫微中台の自室
に戻られ

私は孝謙様の
お支度を整えて供をして
中宮職に向かいました。

聖武上皇様は、

母君の葬儀を終えて
しばらく体調を崩して
伏せっておられました。


母を失った痛手もあって
以前から病みがちの

上塗りをした形になって
しまいました。

55才を超えられた聖武上皇
様は体調が芳しくないのに、

何を思われたか、

智識寺を初めとする
河内6寺を巡りたいと
仰せ出されて皇太后様の
お諌いさめにも耳を貸さず、


皇太后様と孝謙様を伴って
河内の行宮に出発すること
になり、

私もそれに同行を
命ぜられました。



私の夫、葛木連戸主も先帝
の身の上を案じ行動を

自粛されるよう孝謙帝に
申し上げて欲しい

と私を通じて伝えるように
と助言をして来ました。


聖武上皇様の御様子を垣間
見ますに、

輿に乗り降りするのも
やっとの状態で

手を添えないと危なくて
見てはおれないほどの
体の
弱り方です。


でも気丈にふるまわれて
おられ、

ご自分の力でなさろうと
されるお姿は、

さすが大仏造立を成し遂げ

全国に国分寺と国分尼寺を
建立し

仏教によって国家及び
国民くにたみを救おうとなさった

偉大な神の子孫として
末長く語り継がれるに
違いないと感じました。

上皇様
皇太后様、
孝謙様は

久し振りに親子3人の
小さな旅を楽しんで
いらっしゃるように感じ、


胸がジーンと致しました。



真心のささやきを貴方へ❤️






献花三題