快晴の安芸の小富士



白薔薇とピンクのばら


5月24日 全国 緊急事態宣言解除前日




37才
縄文時代と聞くと
自給自足のイメージが強く
狭い範囲、小人数で


生活していたような印象が
強いのですが


堅穴住居を中心に行動
範囲はまわり5、6km
ぐらいの広さしか
想像できないのですが…。




和氣
私も研究を始める前は
そんなイメージだったのですが
調べれば調べるほど

どんどん遠くまで足を
伸ばしていたのがわかって
びっくりです


現在わかっているのは
佐賀県伊万里産の黒曜石が
朝鮮半島南部の遺跡で
見つかっています

九州北部から朝鮮半島に行く
は荒波で有名な対馬海峡を
渡っていかなければなりません

ロシア、ウラジオストックでも
島根県産のものが
見つかっています



37才
海を渡ったとなると船しか
考えられませんが
縄文時代に荒波を渡れる舟が
あったとは思えません


和氣
でも思い出してみて下さい
大勢の人達が陸伝いに
やって来たり
海峡を越えて来ています

海越えの人達は
舟を使って来たはずですから
航海の知識や
経験はあったと思います


出土品の中に、
丸木舟があちらこちらで
見られるようで
木製の櫂(かい)も
同時にあったようですが、
帆を張って使っていた証拠は
出ていません

手漕ぎの丸太舟で
陸に近い海で中継地を経由
しながら移動した形跡が
あります

日本列島は天然の良港が
あちらこちらに
点在しています


舟を使う交通手段としては
速度は早く
人間が持てる荷物の
2.3倍かは積めますが

丸木舟は排水量が少なく
安定性が良くありません

従って大量の物の運搬は
出来ませんでした




37才
歩くよりは舟の方が
早いですから
当時としては最速の乗り物
だったのですね


和氣
交通手段としては
歩くしかなかったのですから

しかし歩く手段を
より早くするために
道の整備は行われていました


湿地帯などには
材木などを敷き
歩き易くしていました

美しい尾瀬などに残る木道は
縄文時代にはすでに
作られていました

人々は、かなり広範囲に
動いていたのは
交易のためでした

この頃はまだ貨幣はなく
物品と物品を交換する取引が
盛んに行われていました



37才
物物交換に行くのは
男女どちらが
行ったのですか


和氣
ほとんどが男でした
屈強な男性でないと
敵に襲われたり
野獣に襲われる危険性も
大です

男性の活躍の場は交易に
ありました



女性や子供達、高齢者を
守れるのは青年や壮年であり
男性には勇敢で逞しくあって
欲しい‼️



お祈りの言葉


1日も早く新型コロナウィルスの拡散が終息しますようお願い申し上げます


世界中の人々の生命をお守り下さい


顕彰大神通力

けんしょうだいじんつうりき




真心のささやきをあなたへ❤️







可愛い薔薇のつぼみ





和氣先生との対話もご覧になって下さい↓


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