2月19日  安芸の小富士の朝景


頑張って咲いている野生の水仙




和氣
女性はあまり歴史が好きではないと聞いています。
しかし過去を丁寧に見ないと現在も未来もみえてきません。


そこで女性にも簡単に理解し易いように考えて、過去の日本男児の光と陰を書いて行ってみようとの試みです。


私が是非知っておいてもらいたい男性を何人かピックアップして、光と陰に迫ってみます。



37才
リクエストしてもよろしいですか。


聖徳太子は有名なのですがどういうお人なのかよくわかりません。


もし和氣さんのピックアップリストにあれば一番目にお願いします。



和氣
はい、分かりました。

リストの一番は聖徳太子ですから大当たりです。


数字が嫌いな人のために活躍した世紀だけを書くことにしています。



1、聖徳太子、6世紀の皇族
(父、用明天皇)(母、間人はしうど皇后、蘇我氏の出身)48才で歿す。古代日本の英雄


十七条の憲法、冠位十二階を制定



「天皇記」「国記(国の地理)」の編さんを行った仏教の三つの経典を分り易く解説して日本に広めました。


聖徳太子の光


生まれた時から神童と呼ばれ2才で念仏を唱え、6才ではお経を読んでいた。


性格は穏やかで、情に熱かったと言われています。



乞食を助けたり、いざりの足を直したりと逸話が多く残っています。

母、間人皇后(はしうどこうごう)は景教(キリスト教)を信じ十七条憲法にもキリスト教の影響があります。


聖徳太子の名は生前の徳や行い、業績を称えて贈られた称号であって

通称名は厩戸王(うまやどおう)別名豊聡耳命(とよとみみのみこと)と言います。


十人の訴えを一度に聞いたので豊聡耳(とよとみみ)とたたえられたのです。

皇子のお陰で異質な神道と仏教が融合し、キリスト教の精神も伝えられました。


第33代推古天皇(すいこてんのう、女帝)は叔母(母方の)にあたり、皇太子となって摂政(天皇の代理で政治を行う)として大活躍をしました。


小野妹子(おののいもこ)を遣隋大使(けんずいたいし)として隋の皇帝煬帝ようだいに国書を持たせ、日本を独立国家と認めさせた、これは推古天皇の御命令で行っています。



「日の出づる処の天子、書を没する処の天子に致す」の書き出して大国隋に対等な国交を結ぶことに成功しました。


聖徳太子の陰


用明天皇の皇子であり能力抜群の皇太子が天皇になれなかったのは、あまりに偉大な力があり過ぎ民衆の人気も高かったので、周囲からも身内からも、うとまれてスポイルされてしまい、死因は病没になっていますが毒殺されたという説もあります。


当時の最高権力者は蘇我馬子でした。

太子の母方の叔父であり妻の父でもありましたが、馬子からは太子の異能さが気に入らず、段々と邪魔になってきました。


そこで太子の暗殺を企てたのではないかと憶測もあります。


「でる釘は打たれる」の末路だったのではないでしょうか。



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