多くの人、それも世界中で多くの人が、死んだら「天国に行く」

と勝手に思いこんでいる、のではないでしょうか。

誰が、天国に行くと決めているのでしょうか。

また、どういう理由で、天国と決まっているのでしょうか。

 

色々な宗教等で、死後の世界について教えられています。

ですが、実際に体験した人はいないはずです。

死後だからです。

生存した状態で天国に行くことは通常、あり得ません。

証明ができない世界です。

あるか、ないか、であれば「ある」、と私は思います。

 

テレビ等で誰かが亡くなったとき、「天国の〇〇さん」の

ような表現がされることがあります。

なぜ、天国と断定できているのでしょうか。

いつも疑問に思っていました。

また、天国の〇〇さん、いつも見守ってくれて、ありがとう。

このようなフレーズも聞くことがあります。

これも不思議でした。

 

この言葉を言う人は、天界を見ることができているのか、と

思います。また、この世の記憶を維持した状態で、天国にいる

ことまで分かっているのか、と疑問に思います。

 

私も死後の世界を考えるまでは、特に疑問には思いませんでした。

そうなんだな、天国に行くのか、天国で幸せな生活ができるんだ、

というような極めて呑気な考え方に「洗脳」されていました。

 

天国等について考えるようになると、いくつか共通点も見つかりました。

特に悪人、悪党についてです。

なぜか、悪党は天国が確定している、という点です。

この世で考えれば、どう考えても天国ではない、と思う行いです。

それなのに、悪党は天国にいくことになっています。

誰が決めたんだろう、と思いました。

 

そもそも、天国が本当に存在するのか、天国とは「一つだけの世界」

ではなく、複数の世界や階層があるのではないか、と思いました。

すると、星の数ほどの世界があるのではないか、と思うようになりました。

この世の行いによって、天国に行くとしても、細かに分けられる、選別される

ように思いました。

 

人間が勝手に都合の良い世界を作っているのではないか、と感じました。

まず、天国に行く前に、受けねばならないことがあるはずです。

裁きです。

日本人であれば、閻魔と即答する人が多いと思います。

これも宗教によって考え方が変わります。

ここでは、軽く「裁きをする神」がいる、と考えることにします。

 

その裁きの時の状態が、疑問に思うようになりました。

おそらく、多くの人は「この世の記憶を維持した状態」で裁きを

受けると思っているのではないでしょうか。

そのため、裁きの時に、色々と「言い訳」をすることが予想されます。

言うだけ言った後、裁きの神により、この世の所業を全て言われ、その結果

しかるべき世界に送られる、と考えている人が多いと思います。

 

これが最近になり、ふと考えが変わりました。

裁きの時に記憶を維持しているのか、という点についてです。

誰か証明できた人はいるのでしょうか。

私は、ここが既に間違っているように思いました。

裁きを受ける時に、「すでにこの世の記憶は消去されている」のでは

ないか、と思いました。

 

前世の記憶がない、これは万人共通です。

前世の記憶はないのに、裁きの時はこの世(実質、直前の前世)の

記憶は残っている、ことがあるのだろうか、と思いました。

 

この世は人間に都合の良い解釈で構築されている部分が多いです。

死後の世界も、都合の良い考えが基本になっていると感じます。

 

もし、天国ではない場合、どこに行くのでしょうか。

当然、肉体はないので魂だけです。

その魂も、姿かたちがあるのでしょうか。

成仏して、裁きを受け、適切な世界に送られる人、そうではない人が

いるはずです。成仏できていない場合、俗に幽霊と呼ばれます。

裁きすら受けられない人=霊と思いました。

 

霊能者は、存在します。

しかし、その霊能者に問いたいです。

死後の世界、霊はどの世界にいるのか、です。

霊として現れる時点で、天界にはいないと思うから、です。

 

霊界、魔界、天界、地獄界のように死後の世界は大きく分けられると

思います。立証できないので、「たぶん」あるはず、という感じです。

 

予言、予知の人では、説明は不可能です。

可能な人、可能な能力があるとすると、天眼通かと思います。

天眼通の能力者でも、死後の世界を見ることはできないはず、です。

あれば見えると思います。

定まっていれば、見ることができるはずです。

この世の未来は透視できても、死後の世界は透視できない、むしろ

見えないようにされている、と思います。

 

コロナ等が原因で死亡する事例が増加しています。

果たして、死後、どの世界にいくのでしょうか。

天国と決まっているわけではない、と私は思います。

強制的に裁きを受ける、しかも記憶が消去された状態で、と

感じます。

 

墓参り=骨参りは大事と思います。

大事とされてきました。

墓=骨の場所です。

骨参りは、本当に故人に何か良いことがあるのでしょうか。

毎月のように墓参り=骨参りをしてきましたが、疑問に思うように

なりました。

 

骨ではなく、想いが重要なのではないか、と考えるようになりました。

転生できる人、転生「回数」が残っている人、は人間界に生まれ変わる

こともあるはずです。人として生まれ変わるのか、これは不明です。

 

自分が死んだ後、どこに行くのだろう、と考えることはあると思います。

しかし、確実にこの世界に行く、と分かる人はいないはずです。

天眼通の能力者でさえ、死後の世界は見えない、見せてもらえないからです。

 

そうすると、この世の行いは非常に重要になると思います。

証明はできませんが、裁きの時に何も言えない状態で裁かれるとすると、

行いが良いことが大切になるはずです。

 

死後に考えるとしても、記憶が消去されていない場合だけです。

記憶が消されれば、何もできません。

成仏できること、天界に行けること、これは理想です。

おそらく、大多数の人は天界ではない、と思います。

そんなに天界行きは甘くない、ような気がします。

 

この世で肉体を使用して行うのは、魂の訓練と思います。

その魂の正しい訓練ができた人が、天界に行けるように感じます。

私利私欲、強欲、他人を苦しめてきて、どうして天界に「呼ばれる」

のでしょうか。相応の世界に送られるはずです。

 

天から与えられた寿命を、最大限に活用し、ギリギリまで魂を磨き、

鍛えることがこの世の役目、使命のように思います。

死後に激しい後悔をしないように、正しく生き抜くことが必要と思います。