誰でも本を読むことを勧めることはあると思います。

分野は様々です。

何でもいいから読め、と言う人もいます。

 

本嫌いはロクな人間にならない、と言う人もいます。

一部、正しいと思います。

残りの部分は誤りと思います。

誤りと言う部分は、読み方についてです。

 

乱読、雑読というような読み方の場合、無意味です。

これは読むではなく、文字の羅列を見ただけです。

さらに悪いのは、むやみやたらと線を引いたり、着色することです。

 

これは読むではなく、作業にすぎません。

自己満足だけです。

作業をしたことが満足につながるタイプです。

しかも作業後に他人に自分が作業した本を強制的に読ませ、

感想、コメントを求める輩もいます。

 

自己満足の線だらけ、しかも雑で汚くなった本を読まされる苦痛を

知りません。このような処刑された本を読む者は本が嫌いになっていきます。

たまに、このような人には反対の質問をします。

「あなたの感想、コメントは?」です。

即答できません。

身についていない、記憶に残っていないからです。

作業することが本を読むこと、と思っている証です。

答えられない、これが悲しい現実です。

 

最低でも2回以上読む場合、線引き等の意味はあります。

注意して読むことになるからです。

色分けの意味も役に立つことが増えてきます。

何色も使う人もいます。

単色、黄色や赤のみ、という人もいます。

これは個人差があるので自由です。

 

読むことと作業することを混同すべきではない、と思います。

大した内容ではない本も多数あります。

タイトル詐欺とでもいえそうな本は非常に多いです。

線を引いていない状態であれば、タイトル詐欺のような本でも

中古品として売却可能です。

マトモな良本の場合、2回目以降に読むことがある場合、線引き等で

次に読むときに読みやすいように工夫します。

 

書棚の肥やしにする気は全くありません。

特に上に重ねて本を置くようなことはしません。

理由は簡単です。

下にある本を読むことが面倒になるからです。

テレビや雑誌等で背景に本が多く映る人がいます。

その中で、上に重ねている人がいます。

この場合、私はこの人は作業の人であって、読む人ではない、と

感じます。

また、ピカピカで並べているだけの研究室やどこかの士業の事務所のような場合、

これも同様に思います。

ただの背景にしているだけ、と感じるからです。

複数回、何度も読み込まれた重要な本の場合、古くなっていても大切に置かれています。

しかも、いつでも取り出せるように配置されています。

記憶の良い人ほど、丁寧に使われているように思います。

 

最もその本について読んだかどうか知りたいときは、要点を白紙に書けるかどうか、と

思います。書けない=頭に何も残っていない証です。

 

これは学習では良く言われることです。

何時間勉強した、と言う人に共通しています。

では、学んだということを白紙に書いて説明してみなさい、と言われたときに

現れます。

書けるかどうか、で分かります。

時間はどうでもよいのです。

それこそ個人差が激しいからです。

天才肌の人は軽くサラッと流しただけなのに、これが完了します。

超努力肌の人は猛烈な努力で対応します。

でも天才はやはり天才です。

天才に勝負しようとは思いません。

疲れるからです。

普通の人か、同じような努力の人がライバルにいると嬉しいです。

同類と言われればそうです。

 

本の読み方から本当に読む人かどうか、を見極めることができます。

取りあえず、実務書は多く読むようにしています。

関係者の役に立つためです。

本を殺すようなことはしません。

本好きと本の作業人は違います。

白紙に何を現せるか、これが読書家の力量と思います。

当然、人相にも現れます。

考えが顔に出るからです。

40歳以上にもなると、何も言わなくても初対面の顔に現れます。

顔はその人の履歴書と思います。

整形で造ることはできません。

顔に責任を持たないといけないと思うようになりました。

善良で正しい顔を目指します。

そのために本を選び正しく読み、身になるようにしようと思います。