「自分軸」という言葉が日本語にあって、とても好きな言葉なんですけど、これに該当する英語がなかなか見当たりませんでした。
「自分軸」をそのまま訳せば「Self Axis」になるかと思いますが、これでは全く何を言いたいのかわからない言葉になりますし。
★「based」というネットスラング:「ブレない」
一番近い言葉では、「Based」という言葉の最近の政治的な場面での俗語的な使われ方が近いかな、という程度。
俗語としてのBased【形容詞】は、一部の政治的な話題を語る場所では「基本的に、その人が勇気があり、独創的で、周りや一般的な文化の影響を受けずにブレないことを意味する。たとえどれほど不人気であっても、自分のスタイルや意見、価値観を変えない人たち」という意味で使われています。
私はテレグラムを本格的に使うようになってから、このアメリカ発のネットスラングをロシア人発信者たちが多用していて知りましたが、見ていると最上級に近い誉め言葉的に使われているようです。
これも「自分軸」で生きる、という日本語にぴったり。あるいは「漢(おとこ)」という言葉にも近いかも。
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★辞書で調べると「おせっかいはやめて」という意味だけど:Mind your own business
英語の有名なフレーズ「Mind your own business」という言葉は日本でも習うフレーズです。直訳すれば「あなたはあなたの問題に専念していたらいいから」という感じで、一般的には「おせっかいはやめて」と訳されることが多いようですが、これは個人的な体験から実はすごく優しい言葉なのではないかと思うようになった出来事がありました。
それから10年ほど、「他人のことばかり考えて気持ちが落ち着かない場合」などに、自分に言い聞かせるように「Mind my Own Business」と、自分のやるべきことに集中を戻すキーワードのように使っています。
ちなみにビジネス(business)という言葉には「仕事、事柄、問題、課題」など緩く広い意味で使われていますが、この場合は「自分自身のやるべきこと(問題)に集中しよう」くらいの意味になります。これこそが日本語の「自分軸」というものを表す英語として一番近いのではないかなと。
★なぜおせっかいが嫌がられるのか
ついでに言えば、「おせっかいを焼く」行為は、「(他人の気持ちを考慮したり、他人の状況をあまり理解せずに)自分の助言や助けを与えようとすること」で、英語では「Give an Unsolisitated Advice」となり、勝手に一方的に助言や手伝いを申し出るという意味で、人間関係に悪影響を与えると言われています。
でも、私もつい老婆心で他人の人生に口出ししそうになることもよくありますけどね💦
「Mind your Own business」という言葉を幸せに生きるためのヒントのように考えている人は私だけじゃないようで、ポジティブな意味に解釈をしている記事がたくさんあります。
特にわかりやすいものを見つけたので、こちらでもいくつかシェアさせていただきます。
「自分の問題に専念することで、人生でもっと前に進めるようになるだろう」
★自分の問題に専念するためのヒント
「自分の問題に専念しようとする場合に起こる問題とは?」
【タイムズ・オブ・インディア】
長い歴史の中で、私たちは人間の行動の重要な側面、つまり自分自身のことに専念することを学ぶ重要性を軽視してきました。
人々が他人の生活に干渉したがる理由には良いものと悪いものがありますが、他人を助けたいと思っての場合が多いでしょう。
しかし、結果を自分の望むようにしたいからと他人の人生に介入したいと考える人もいます。彼らは物事が特定の方法で起こることを望み、関与・介入することで状況に影響を与えることができると信じています。彼らは、助けようとしている人の利益のためではなく、自分の利益のために他人の人生に干渉しているのです。
なぜ私たちは他人のことが気になるのか
おせっかいを焼くのが好きな人には、境界線(バウンダリ)の認識が欠如している人がいます。彼らは他人の境界線を理解または尊重できず、自分が境界線を超えていることに気づかずに他人の生活に干渉する場合があります。
しかし誰もが自分自身の決定を下し、自分の人生を生きる権利があることを認識することが不可欠です。他の人に助けやサポートを提供するのは問題ありませんが、彼らの自主性と境界線を尊重することも重要です。したがって、他人のプライバシーを尊重する必要があります。
誰もがプライバシーの権利を持っており、他人の生活や個人的な事柄に介入しないことでその権利を尊重することが重要です。他人ではなく自分自身のことに気を配ることは、健全な境界線を維持し、他人の生活を踏み越えたり、侵入したりすることを防ぐのに役立ちます。
また、自分自身の人生や目標に焦点を当てることは、私たちが個人として成長し、向上するのに役立ちます。それは私たちに達成感や充実感を与えることもあります。
自分自身のことに気を配ることは、他者とのより強力で前向きな関係を築くのに役立ちます。それは誤解や衝突を防ぎ、相互の尊敬と信頼を育むことができます。
個人の自主性を尊重する
個人の自主決定権は、ここで重要になってきます。それは私たちの自主性と独立性を維持するのに役立ちます。それにより、私たちは自分自身で決定を下し、自分に合った人生を送ることができます。もちろん、他の人に関与したり、援助やサポートを提供したりすることが適切な状況もあるでしょう。
しかしそのためには他の人のニーズや感情を考慮することで、行動を起こす前に正しい判断を下すことが不可欠になります。
私たちは本当に相手の状況のすべてを理解しているのか?
「相手のすべてを知らない場合は、決して人を判断してはいけない」という格言があります。これは、限られた情報や人生の 1 つの側面に基づいて人を判断するのは公平ではないことを意味しています。
誰もが独自の背景や状況、個人的な経験を持ち、それが自分の行動や行動を形作ります。誰かの人生の完全な背景を知らなければ、その人の動機や行動を完全に理解するのは簡単ではありません。
他人を容易に判断して決めつけることは、いらぬ誤解や対立を引き起こし、人間関係にダメージを与える可能性があります。また、自尊心や価値観に影響を与える可能性があるため、判断される側にとってもダメージとなりえます。
他人を批判するのではなく、理解して共感しようとすることが不可欠です。意見を持ったり、特定の行動や行動について判断したりするのは問題ありませんが、誰もが複雑で、独自のストーリーがあることを認識することが重要です。
人について瞬時に判断することも、間違った判断を下す可能性があります。瞬時の判断は、少ない情報や、誰かの人生の 1 つの側面に基づいて行われることもよくあります。相手の経験や状況の背景を完全に知らなければ、その人の動機や行動を完全に理解することは困難です。瞬時の判断は、特定の人々のグループに関する固定観念や先入観に基づいていることがよくあります。つまり、それは固定観念や偏見、差別につながる可能性もあります。
他人を容易に決めつけることは、誤解や対立を生み出し、信頼と尊敬を損なう可能性があるため、人間関係に悪影響を与えます。そういった判断は相手の自尊心や価値観に影響を与え、その人の幸福に悪影響を与えることも。
そうするよりもあまり偏見を持たずにその人の意見に真摯耳を傾ける方がお互いに実りがあるでしょう。特定の行動や行動について意見や判断を持つのは問題ありませんが、誰もが複雑で、それぞれの都合があることを認識することが重要です。
実際、私たちは他の人が経験したことや経験したことを完全に理解したり知ることはできません。すべての人の人生はユニークで、その人自身を形成する独自の経験や感情、課題があります。誰もがそれぞれの葛藤を抱えていることを覚えておくことが大事で、たとえ相手の経験を完全に理解していなくても、私たちは他者に共感し、理解を示さなければなりません。他人のプライバシーを尊重し、同意なしに個人的な生活を覗き込んだり、口を出すことは控えるのが自分のためにもなります。
共感力は持つべき重要な資質です。他人の感情を理解し、共有する能力です。共感により、私たちは他者に対して思いやりを感じることができ、より深いレベルで他者とつながることができます。他者に共感できると、彼らの立場に立って物事を彼らの視点から見ることができ、彼らをより深く理解し、サポートすることができます。
共感は健全な関係にとって不可欠であり、より有意義なつながりにつながります。
(記事ここまで)
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★他人軸になっている場合の特徴
「Mind your Own business(自分の問題に専念する)」というのは、自分がコントロールできることに集中し、コントロールできないものを手放すことです。つまり自分自身の考えや行動に責任を持つことです。そして他の人の考えや行動に責任は、その人が負っていると認識することです。
私たちは他の人をコントロールし、自分の周りの世界をコントロールし、基本的に自分以外のすべてのものをコントロールしようとすることはよくあることです。
しかし私たちがコントロールできるのは自分自身だけです。しかも自分を完全にコントロールすることすら実は難しいのですが。
自分のではなく「他人のビジネス(問題)」に意識を集中させすぎな例をいくつか挙げます。
●(他人を)審査する
●批判する
●意識的にあるのでなく、状況や他者にとっさに反応する
●他者を私たちから切り離したものとして見ること(分離と一体性は、意識的に生きることの核となる教義でもあります。)
●他の人の問題を彼らに代わって解決しようとする
●他人を「修正」しようとする
●他人をありのままに受け入れることを拒否する
●自分の考えや行動に責任を持たない
●自分の考えや感情を他人のせいにする
●頭に浮かぶすべての考えを信じる
【コメント】
最近流行りの英語で、「Mansplaining」という言葉があります。これは特に、男性が女性に対し、「女はこれが苦手」だという思い込みから、つい頼まれてもいない助言を与えることです。
「そこの小さなご婦人は明らかにご理解されてないようですね
あなたに説明(マンズプレイニング)させてください」
この言葉についてネットで見つけた例でわかりやすかったのは、ある女性の書いた説明でした。
その女性が道端で自動車を修理していると、通りすがる男性のほとんどが足を止めて、「その使い方は間違っている」「その部品は、こうした方がいい」などと「優しい助言」をしてくれるというものでした。あきらかに男性の中には「自動車の修理は男性がするもの」で女性にはできないという思い込みがあるための助言で、「親切」のつもりでやっていることでしょう。
ただ逆に、例えば男性が車の修理に集中している時に、声をかける女性はあまりいないですよね。見るからに集中していて、声をかけると相手の集中をそぐことがわかりきっているからです。下手をしたら怒られそうですし。
つまりここでマンズプレイニングをしてきた男性は、明らかに集中力を必要としている女性の気持ちを理解しようとするステップを飛ばして、自分の思い込みから「自分の親切だと思う行為」をやってるだけとさえ言えます。
女性には相手が「善意」からやっているのはわかりますが、これが何人も続くとこの女性も「なんで静かに仕事をさせてくれないの!?ちょっと集中したいだけなのに!」とキレることもあるかもしれません。
そうなっても男性は「優しくしているのに、なぜ怒るのかわからない。女はやっぱりわからない。。。」などと済ませてしまいそうですけど・・・😅
これが一つ上の記事に書かれている、「相手の気持ちを理解しようとせずに、助言や解決策を提示すること」がなぜ人間関係に問題を起こすのかという理由なのかと。
★他人の人生に責任を取るつもりもないのに助言する??
・・・あとコロナ禍の時に、ワクチンを信じている日本人に「10億円を積まれてもコロナのワクチンは打ちません」と伝えたところ、「なぜワクチンを打たないの?!危ないわよ!」と言われた時に、「ワクチンに何が入っているのかご存じですか?どうして受けようと思うんですか?」と聞き返すと、もちろん何が入っているのかは答えることができませんでした。
自分がよく理解していないのに、他人に気軽に「未知のワクチン」などという医療行為を勧める人たちには、何か問題があった場合に自分の助言の責任をとる覚悟なんてあるのかな?よくそんなので他人に医療行為を勧められるものだとぞっとしましたけど。
私の大好きな漫画では、「悪意というものは、単に人が悪い意図で発言するものばかりではない。自分が善意のつもりでも、相手の気持ちを考慮せずに気持ちが暴走していて相手を傷つける場合も悪意という」という表現があり、このケースにも言えるかなと。
私は自分は自分、他人は他人と割り切ってるので、たまに自分が冷たい人間のように感じますし、実際そうなのかもしれません。でも、自分が自分らしく生きることが一番大事ですし、それは他の人すべてもそうかなと思うので相手の気持ちも尊重したいと考えています。なので、お互いに相手の主権(物事を決定する権利)や意見を尊重しあえる人との付き合いが気楽でいいですね~👍