政府が何かの変化を起こすことを待ったりせず、自分達で困っている人を助け合うDIY精神がまさにアナーキーですね。
「お金のため」「これが資本主義だ」などという決まり文句で、社会的に非常に困難な立場にある人を「切り捨てる」のが普通に受け入れられている社会の中では、ある意味で「反社会的」なくらいが実はまともなのかもしれないなと思いました。
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ホームレスに食事を配るミャンマーのパンクバンド
Meet the Burmese Punks Feeding Their Country's Homeless
7月13日【Vice】http://www.vice.com/read/the-myanmar-punks-feeding-yangoons-homeless?utm_source=vicefbus より翻訳
毎週月曜の夜、ミャンマーの首都ヤンゴンのある橋の下には、黒い服に銀の鋲のついた服を着込んだパンクの集団が、路上で生活している人に食べ物を配るために集まっています。
私たちVICEが取材で参加した時は、モンスーンの土砂降りの後で排水路が川のようになっていましたが、ヤンゴン市で増え続けるホームレス問題の解決に一役買おうとパンクとその取り巻きの30人の方が集まっていました。
参加者が多かったため、市内中にチャーハンやバナナ、ペットボトルの水を配布するために二つのグループに分かれました。食事はパンクが自ら調理したもので、その資金は募金でまかなわれています。
このグループは5万チャット(ビルマの通貨。約44米ドル)の募金を集め、この日の夜の配給の資金として遣われました。食事は毎週異なり、また衣類もよく配布しています。
このプロジェクトは、「爆弾よりも食べ物を(Food Not Bombs)」のビルマ支部としての活動で、地元のパンクバンドRebel Riotのメンバーを中心とした活動が始まって3年になります。
世界規模の「爆弾よりも食べ物を(Food Not Bombs)」運動は、支援を必要とする人にベジタリアンの食事をボランティア活動として提供する運動で、1980年にアメリカで始まり、反貧困および非暴力の精神に則っています。
ヤンゴンのグループは、メインの運動と連絡を取り合ってはいますが「異なる意見と方向性」を持ち合わせてます。
バンドのシンガーでギタリストのKyaw Kyaw氏は、次のように話しています。
「システムを変えようという歌を歌っているだけでなく、実際に何かをしなければならないということに気がつきました」
現在の政府は同市の増え続けるホームレスの苦境を理解していないと、彼は考えています。
「(外国資本の)大企業がビジネスのためにミャンマーに来ていますが、これにより土地や住宅、フラットなどがどんどん高くなっています。ヤンゴンは主要都市なので、特にそうです」
2010年11月の総選挙により、50年近く続いた軍事政権の支配による国際的な孤立が終焉しましたが、それ以降のミャンマーは、外国資本の直接的な投資に徐々に開かれ始めました。たしかに、取材の翌日には、私たちが待ち合わせた場所から数ブロック離れた場所には国内のKFC第一号店が開店したところです。
この外国からの投資が、ヤンゴン市内の貧困を悪化させています。
2年前と比較すると、住居を賃貸している人たちは2014年には最高で60%以上値上がりした家賃を払っており、同じ時期に土地の価格は50%上昇しています。
家賃が激しく上昇し、家を失う家族が増えています。強制的に路上に追い出される家族もあれば、仏教のお寺が提供しているシェルター(簡易宿泊所)を探し求める家族もあります。あるいは、少なくともヤンゴン近くの衛星都市に引っ越さざるをえなかった家族もあります。
そしてここ2年の間、ヤンゴン市郊外の町の住民が、新しい住宅建設計画のために強制的に退去させられるというケースも複数ありました。
一晩あたりサポートしているのは80~100人程度だと、このパンクのグループは見積もっています。この日は土砂降りで、ホームレスの人たちは雨かを避けようと隠れていたため、食べ物の配給のためにホームレスの人を探すのは困難でした。橋の下に生活している人や、あるいは壁に支柱をつけたシェルターの下に住んでいました。
しかし私たちが出会った人たちは、若い人もお年よりも、感謝の気持ちを大らかに表してくれました。
しかしながら、パンク達の使命は、いつもこれほどスムーズに進んだわけではありません。
Kyaw Kyawさん談:「私たちの髪の毛の色が違うため、ホームレスの人たちは私たちは違うタイプの人間だと思っていました。彼らは『走って遠くに行ってしまえ』と私たちに言いました。
「でも今では、私たちはいい人間だとわかってくれたようです」
しかし、ビルマの「爆弾よりも食べ物を」計画が実行できるようになったのは、ホームレスの人たちの意見の変化以外の要因もありました。
2010年の総選挙では、一部の民主主義化と半民事政府が樹立され、これにより自由がさらに拡大することになったのです。この総選挙以前では、路上に5人以上のグループが集まることは許されていませんでした。また、パンクそのものも、地下に潜伏しなければならず、刑務所に投獄される可能性さえあったのです。
Kyaw Kyaw氏によると、ビルマ出身の船乗りが、1997年にヤンゴンで抑圧されていた若者にパンク音楽を紹介したということです。世界中を旅行した後、この船乗りは80年代のハードコア・パンクのブラック・フラッグやデッド・ケネディーズ、そしてクラスなどのアルバムと共に故郷の町に帰ってきました。これがきっかけになり、パンクやバンドなどが発展したアングラなネットワークが始まったということです。
しかし2007年にヤンゴンでサフラン革命(ミャンマー反政府デモ)が勃発し、これによってヤンゴンのパンクの第二のブームが起ました。仏教の僧侶が率いる数万人の民衆が国中で、弾圧的な軍事支配に反対しデモ行進を行い、それがサフラン革命となりました。
政府が燃料に対する補助金の打ち切りを決定し、そのためにガソリンの価格が66%、天然ガスの価格は500%増加し、食料の価格が急上昇したことがきっかけで反対運動が起こったのです。
最終的には軍事政権が運動を暴力的に鎮圧したものの、この反逆の精神が、レベル・ライオットなどのパンクバンドのインスピレーションとなりパフォーマンスが始まりました。初期のギグは違法で、秘密で行われなければなりませんでした。
今ではレベル・ライオットやサイド・イフェクト(Side Effect)のようなパンクバンドも市内でもっと自由に演奏ができるようになっていますが、当局からの許可が必要とされており、また警察によって終了させられる可能性が常についてまわっています。
いくつかのバンドは楽器を完全に買い取るだけのお金がないため、楽器を借りたりしているという現状も物事をさらに困難にしている要因の一つです。
ヤンゴンのパンク音楽は、例えばタイトルが「宗教によるルールなんてクソ食らえ(Fuck Religious Rules)」など、政治的な動機に基づいたものが多いのが特徴です。ミャンマー国内では、毎日のように国民が人権侵害や過酷な生活条件に苦しんでいます。
「この政府は、人々が必要としていることを理解していません」と、Kyaw Kyaw氏。
そしてこの記事が海外で人気になったため、Facebookページ上には、本文中の「お金がなくて楽器が買えない」という彼らの境遇の何か助けになりたいという外国人が何人か、「僕も楽器を寄付できるし、募金キャンペーンのノウハウでも助けれるよ!」「私も募金したいのだけど」というメッセージを残していました。
後ろのパンクのお兄ちゃん達の笑顔がまぶしいです★タイの路上で仲良くなってよく一緒に飲んでいアウトローなお兄ちゃん達を思い出しました。
Burmese Punks "Rebel Riot" Rocking Against the System
アナーキーinミャンマー!
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★ヘルズエンジェルズがホームレスの子供のために行列に5日間並ぶ
「お金のため」「これが資本主義だ」などという決まり文句で、社会的に非常に困難な立場にある人を「切り捨てる」のが普通に受け入れられている社会の中では、ある意味で「反社会的」なくらいが実はまともなのかもしれないなと思いました。
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ホームレスに食事を配るミャンマーのパンクバンド
Meet the Burmese Punks Feeding Their Country's Homeless
7月13日【Vice】http://www.vice.com/read/the-myanmar-punks-feeding-yangoons-homeless?utm_source=vicefbus より翻訳
毎週月曜の夜、ミャンマーの首都ヤンゴンのある橋の下には、黒い服に銀の鋲のついた服を着込んだパンクの集団が、路上で生活している人に食べ物を配るために集まっています。
私たちVICEが取材で参加した時は、モンスーンの土砂降りの後で排水路が川のようになっていましたが、ヤンゴン市で増え続けるホームレス問題の解決に一役買おうとパンクとその取り巻きの30人の方が集まっていました。
(画像 ミャンマーのパンクバンド、レベル・ライオット)
参加者が多かったため、市内中にチャーハンやバナナ、ペットボトルの水を配布するために二つのグループに分かれました。食事はパンクが自ら調理したもので、その資金は募金でまかなわれています。
このグループは5万チャット(ビルマの通貨。約44米ドル)の募金を集め、この日の夜の配給の資金として遣われました。食事は毎週異なり、また衣類もよく配布しています。
このプロジェクトは、「爆弾よりも食べ物を(Food Not Bombs)」のビルマ支部としての活動で、地元のパンクバンドRebel Riotのメンバーを中心とした活動が始まって3年になります。
世界規模の「爆弾よりも食べ物を(Food Not Bombs)」運動は、支援を必要とする人にベジタリアンの食事をボランティア活動として提供する運動で、1980年にアメリカで始まり、反貧困および非暴力の精神に則っています。
ヤンゴンのグループは、メインの運動と連絡を取り合ってはいますが「異なる意見と方向性」を持ち合わせてます。
バンドのシンガーでギタリストのKyaw Kyaw氏は、次のように話しています。
「システムを変えようという歌を歌っているだけでなく、実際に何かをしなければならないということに気がつきました」
現在の政府は同市の増え続けるホームレスの苦境を理解していないと、彼は考えています。
「(外国資本の)大企業がビジネスのためにミャンマーに来ていますが、これにより土地や住宅、フラットなどがどんどん高くなっています。ヤンゴンは主要都市なので、特にそうです」
(外国資本の流入により、家賃や土地が急騰して市内の貧困の問題を悪化させている)
2010年11月の総選挙により、50年近く続いた軍事政権の支配による国際的な孤立が終焉しましたが、それ以降のミャンマーは、外国資本の直接的な投資に徐々に開かれ始めました。たしかに、取材の翌日には、私たちが待ち合わせた場所から数ブロック離れた場所には国内のKFC第一号店が開店したところです。
この外国からの投資が、ヤンゴン市内の貧困を悪化させています。
2年前と比較すると、住居を賃貸している人たちは2014年には最高で60%以上値上がりした家賃を払っており、同じ時期に土地の価格は50%上昇しています。
家賃が激しく上昇し、家を失う家族が増えています。強制的に路上に追い出される家族もあれば、仏教のお寺が提供しているシェルター(簡易宿泊所)を探し求める家族もあります。あるいは、少なくともヤンゴン近くの衛星都市に引っ越さざるをえなかった家族もあります。
そしてここ2年の間、ヤンゴン市郊外の町の住民が、新しい住宅建設計画のために強制的に退去させられるというケースも複数ありました。
一晩あたりサポートしているのは80~100人程度だと、このパンクのグループは見積もっています。この日は土砂降りで、ホームレスの人たちは雨かを避けようと隠れていたため、食べ物の配給のためにホームレスの人を探すのは困難でした。橋の下に生活している人や、あるいは壁に支柱をつけたシェルターの下に住んでいました。
しかし私たちが出会った人たちは、若い人もお年よりも、感謝の気持ちを大らかに表してくれました。
(おなかをすかせた犬に食べ物をあげる参加者)
しかしながら、パンク達の使命は、いつもこれほどスムーズに進んだわけではありません。
Kyaw Kyawさん談:「私たちの髪の毛の色が違うため、ホームレスの人たちは私たちは違うタイプの人間だと思っていました。彼らは『走って遠くに行ってしまえ』と私たちに言いました。
「でも今では、私たちはいい人間だとわかってくれたようです」
しかし、ビルマの「爆弾よりも食べ物を」計画が実行できるようになったのは、ホームレスの人たちの意見の変化以外の要因もありました。
2010年の総選挙では、一部の民主主義化と半民事政府が樹立され、これにより自由がさらに拡大することになったのです。この総選挙以前では、路上に5人以上のグループが集まることは許されていませんでした。また、パンクそのものも、地下に潜伏しなければならず、刑務所に投獄される可能性さえあったのです。
Kyaw Kyaw氏によると、ビルマ出身の船乗りが、1997年にヤンゴンで抑圧されていた若者にパンク音楽を紹介したということです。世界中を旅行した後、この船乗りは80年代のハードコア・パンクのブラック・フラッグやデッド・ケネディーズ、そしてクラスなどのアルバムと共に故郷の町に帰ってきました。これがきっかけになり、パンクやバンドなどが発展したアングラなネットワークが始まったということです。
しかし2007年にヤンゴンでサフラン革命(ミャンマー反政府デモ)が勃発し、これによってヤンゴンのパンクの第二のブームが起ました。仏教の僧侶が率いる数万人の民衆が国中で、弾圧的な軍事支配に反対しデモ行進を行い、それがサフラン革命となりました。
政府が燃料に対する補助金の打ち切りを決定し、そのためにガソリンの価格が66%、天然ガスの価格は500%増加し、食料の価格が急上昇したことがきっかけで反対運動が起こったのです。
最終的には軍事政権が運動を暴力的に鎮圧したものの、この反逆の精神が、レベル・ライオットなどのパンクバンドのインスピレーションとなりパフォーマンスが始まりました。初期のギグは違法で、秘密で行われなければなりませんでした。
今ではレベル・ライオットやサイド・イフェクト(Side Effect)のようなパンクバンドも市内でもっと自由に演奏ができるようになっていますが、当局からの許可が必要とされており、また警察によって終了させられる可能性が常についてまわっています。
いくつかのバンドは楽器を完全に買い取るだけのお金がないため、楽器を借りたりしているという現状も物事をさらに困難にしている要因の一つです。
ヤンゴンのパンク音楽は、例えばタイトルが「宗教によるルールなんてクソ食らえ(Fuck Religious Rules)」など、政治的な動機に基づいたものが多いのが特徴です。ミャンマー国内では、毎日のように国民が人権侵害や過酷な生活条件に苦しんでいます。
食べ物の配布が終わる頃、Kyaw Kyaw氏は、道端にその場しのぎのビニールでできたテントに横になっている老婦人に近づきました。この老婦人は片手しかなく、自分の面倒を見るのも難しいとKyaw Kyaw氏は説明してくれました。そしてそのため、食べ物の配布の際には、必ず彼女の元を訪ねるのだということです。
「この政府は、人々が必要としていることを理解していません」と、Kyaw Kyaw氏。
すべての政党は軍部によって統制されているため、次の総選挙にはほとんど何も期待していないということです。
「最終的には、すべてのストリート・ピープル(路上生活者)のために変化を起こしたいと思っています。彼らが望んで、必要としているものを探し出し、彼らが手に入れる役に立ちたいのです」
(翻訳終了)
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【コメント】
Rebel RiotのFacebookページがこちら。
https://www.facebook.com/therebelriot?fref=ts
このページでは、ダラという村の数多くの貧しい子供たちが学校に行くための鉛筆も本も買うことができないということで、本や鉛筆、募金などの寄付を求めていました。
今週末には大規模な炊き出しを行い、子ども達とゲームをしたりお話しをしたりするということです。
そしてこの記事が海外で人気になったため、Facebookページ上には、本文中の「お金がなくて楽器が買えない」という彼らの境遇の何か助けになりたいという外国人が何人か、「僕も楽器を寄付できるし、募金キャンペーンのノウハウでも助けれるよ!」「私も募金したいのだけど」というメッセージを残していました。
後ろのパンクのお兄ちゃん達の笑顔がまぶしいです★タイの路上で仲良くなってよく一緒に飲んでいアウトローなお兄ちゃん達を思い出しました。
Burmese Punks "Rebel Riot" Rocking Against the System
アナーキーinミャンマー!
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