【永田町情報】 ★「小沢問題」に苦しむ野田首相 時事通信社解説委員・田崎史郎。。。 | 川口市議会議員 わかやまさみ オフィシャルブログ 「いつも笑顔で」Powered by Ameba

【永田町情報】 ★「小沢問題」に苦しむ野田首相 時事通信社解説委員・田崎史郎。。。

わかやです。


昨日、クールビズ終了と申し上げましたが、10月16日までクールビズ対応でした…


~時事通信~


【永田町情報】 ★「小沢問題」に苦しむ野田首相 時事通信社解説委員・田崎史郎

 就任後初の衆参両院予算委員会を乗り切った首相・野田佳彦は公明党の衆院予算委理事・富田茂之の質問が最も、胸にこたえたに違いない。富田はこう尋ねた。

 「総理と私は、93年当選同期です。翌年、新進党で合流して一緒に政治活動してきた。私が落選した時、激励をいただいた。しかし、小沢さん(一郎民主党元代表)の秘書3人の判決を聞いた総理の対応は総理らしくないな、と思いました。当選したとき、政治改革をきちんとやっていくんだ、金丸さん(信・元自民党副総裁)の金塊事件もあって、こんな政治でどうするんだという気持ちでみんな(国会に)出てきた。総理は落選中、政党の支援もなく、子どものズボンや靴も買ってやれないほど苦労された。新進党の解党は97年12月。新進党時代、小沢さんのカネの配り方もきちんとしていなかった」。

◇「野田政治」の原点

 野田は「自分が96年10月の衆院選で落選した後、街頭演説に立っていた時、近寄ってきて握手してきた国会議員は富田さんだけだった」と述懐したことがある。野田と富田は政党、選挙区は違うが、同じ千葉県の選出。それぞれ落選の辛酸をなめ、互いに励まし合ってきた。野田にとって、富田は公明党の友人のひとりである。

 野田は「保守政治家」を名乗りながら、「一貫して非自民」で通してきたことを誇りにしている。保守政治家で非自民という一見矛盾する政治行動は、大学入学の年にロッキード事件に遭遇し、自民党の金権体質に対して激しい反発を覚えたことに起因する。自著『民主の敵』で「原点はやはり、田中金脈であり、この国の金権風土を直したいということ」と記している。

 野田は政調会長・前原誠司、政調会長代行・仙谷由人、経済産業相・枝野幸男が小沢を批判してきたのに対し、露骨な小沢批判を避けてきた。しかし、田中政治の申し子である小沢を快くは思わず、側近によれば「内心ははっきりとした反小沢」という。

しかし、富田の質問に対する野田の答えはこうだった。

 「富田委員とは同じく政治改革を志して、戦ってきた。お互いに落選をした時には、時期は違うけれども励まし合ってきた経験がある。今、本当に本質的なご質問をいただいたと思う。私自身、政治家であると同時に、『政治改革派』でありたいと思う。つねに政治が信頼される、何かあった時には国民にきちっと説明責任を果たしていく政治を貫いていかなければならない」

◇小沢はかえって強気に

 野田は自分の政治姿勢を強調したが、巧みな言い回しで自身の発言が小沢批判をとられるのを回避した。小沢を批判すれば、政権発足以来取ってきた「党内融和」が水泡に帰すからだ。

 だが、この融和策はいつまで持つのだろうか? 小沢は押し込まれた時、引くことはなく、より強い力で押し戻そうとする。小沢は「不当な判決」と訴える一方、自分の存在感をアピールしたり、小沢グループ内の締め付けを強めたりするだろう。

 これに対して、野党は有罪判決を受けた石川知裕の議員辞職要求や小沢の証人喚問を求める動きを強める構え。それでも、野田は結局、本心とは違って小沢を守る側に立たざるを得ず、今年度第3次補正予算案をめぐる与野党折衝もスムーズに運ばなくなるだろう。

 また、秘書に対する有罪判決によって、来年4月とみられる小沢本人に対する東京地裁判決が有罪となると決まったわけではない。無罪判決となれば、小沢は大手を振って永田町を闊歩(かっぽ)するだろう。

 秘書が有罪判決を受けても、小沢の「不撓(ふとう)不屈の精神」は衰えていない。小沢がそうである以上、野田は今後も「小沢問題」に悩まされ続けるに違いない。(敬称略)(了)