この日も…

普通に同じ1日が過ぎて行くと思ってた。

特に何も変わらない1日が。


こんな風に思う時もないくらい自然と一日が過ぎていた。過ぎるはずだったのに。

呼び出しの電話を受けるまでは。




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旦那の運転手する車の中でずっと娘の手を

握っていた。 身体はぐったりチカラが抜けているのに、目はしっかりと開けられていて…


私の「○ー、大丈夫だよ!!ママ居るからね!」の声掛けに、娘の目から数滴の涙が。


頑張って自転車漕いで家に帰ってきたんだ。

頭痛が強い中、

誰も家の中に居なくて不安だったね。

ごめんね、苦しい時側に居なかった。


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19日の夜、小児病棟へ。

そのまま私も付き添いで泊まりました。


朝になって、今日出来る限りの検査が始まり………


明日何とか頭部のMRIを入れてもらった。


(異常なし)

脳波検査…(異常なし)

起立性調節障害の検査…(異常なし)


上半身のMRI検査…

髄液採取の検査…

液自体は、問題ないが…圧が上がってくるのに少し時間がかかっていたと。

液の量も標準より下だけれど

決定付けられる範囲内ではないので

判断が今は難しい所です…と。



しかしこの時点では、、

脳脊髄圧減少症(漏出)を疑って良いでしょう。と

入院して6日目の事だった。




そして、、

この時からでした

入院してから点滴治療が…

1ヶ月半の間、臥床安静治療へ。




しかし、

髄液の検査後は、吐き気と頭痛が襲いました

(髄液を抜かれたので、酷く症状が出てしまう)


食欲も減退し丸々6日間ほぼ食事をとれなかった。痩せてしまったカラダ。

筋肉も落ちてしまってた。



ベッドから身体を離す事が困難、。

頭部をほんの少しでも起こすと

うずくまる程の激痛と吐き気…

ガーグルベースには含む程度かしか

摂っていない水分が出るだけ

(食事が摂れていなかったので)


原則3時間だけの面会中

一言も交わせません。



入院生活、8日目に…

「今の状況と転院の話等をしたいのでご両親で来られますか?」と。


私と旦那、担当医師と教授の方から…

色々な話をし、結果、ブラッドパッチを施行出来る大学病院へ転院する事になった。


ただ、その大学病院もそこまで数多く

脳脊髄圧減少症の患者をブラッドパッチでの治療をしてきてはいないので、そこでの検査の結果によっては、都内の方へ転院という事になるかもしれない。

という事は、言われていました。


当然のごとく大変悩みました。

色々、脳脊髄圧減少症については主人とも調べていたので、

都内の山王医院、熱海の方へあたった方が良いのか……

しかし、この時点では私達にはこの決断しかありませんでした。


因みに……

(はじめに入院していた大学病院から国立大学病院まで20分ほど。)



6月7日…担当医師が付き添い同行の元

救急車で国立大学病院へ転院。



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脳脊髄圧減少症、、?

え、なんですか?それ…と、私

説明してくれましたが、あまり頭に入ってこない。… 勿論あとで調べました。


病気を疑うことの内容は分かったけれど、

どうして娘が?

何が原因だというの?


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そこに加えて、娘は歩行も困難になっていた。

直ぐそこのトイレまでも歩けない。

なんていうか、。試しで立ってもらっても

平衡感覚が保てない。

車椅子に乗らないと移動が出来ない状態は、

今も続いている(…現6月13日)。


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転院した国立大学病院では、、

翌日に造影剤を注入してのMRI検査

その翌日に脳槽シンチ



そして、

その結果を、2日後に伝えられた。