来る7月の参院選と同時に、衆院選が実施されるか、いわゆるダブル、
衆参同日選挙がなされるかどうか、いまだ不透明な状態であります。
ダブル選挙をするには、そもそも総理大臣に解散権があることが前提ですが、
実は、日本国憲法には、首相が解散権を持ってるなどとは一言も書いてません。
というような話を先日、ある会社の経営陣の集まりの席でお話ししたところ、
結構、驚かれました。
憲法7条に規定されている天皇の国事行為の1つとして
「衆議院を解散すること」が挙げられており、
これについて、内閣が天皇に助言・承認をすることになっているため、
内閣を代表する総理大臣に、実質的な解散権があると解釈されているのです。
このように、首相の解散権は、あくまで憲法上の解釈に過ぎませんので、実際、
戦後間もない1948年に少数与党の吉田茂内閣が解散権を行使しようとしたところ、
野党が、「首相にフリーハンドの解散権などない」という解釈を示したため、
当時の占領軍GHQの斡旋で、野党側から不信任決議案を提出・可決してもらい、
それを受けて解散したいわゆる「なれあい解散」が行われた歴史があります。
その数年後、同じく吉田茂首相が、今度は、憲法7条に基づいて、
突然、衆議院を解散する、いわゆる「抜き打ち解散」を行い、
この解散によって議席を失った議員の一人が違憲訴訟を起こしましたが、
最高裁は、政治の世界の争いに司法は介入しないという統治行為論に基づき、
首相の解散権について違憲か合憲かの判断を示さなかったことから、
その後、首相が解散権を有しているものと考えられるようになったのです。
現行憲法が施行されてしばらくは、社会党政権が誕生したり、
GHQによってメーデーの中止が命じられたりしており、
一時は革命前夜と言われた日本でしたが、解散・総選挙によって、
議会構成が変わる度に、徐々に保守が確たる地歩を固めるようになり、
世の中にも平穏が訪れ、やがて、高度成長期を迎えるようになります。
そして、もともとは憲法上、確たる根拠がなかった解散権について、
今度は世論が、「解散には大義名分が必要だ。無闇やたらな解散は許さない」
と言うようになり、解散権に縛りをかけるようになってきました。
こうした解散権の移り変わりについて見てくると、
このブログのタイトル風に言えば、
「世は解散につれ、解散は世につれ」
といったところでしょうか。