東京の人口増の傾向は、相変わらず昨年も顕著に続いています。
試しに、転入届を受け付ける際、
「東京に転入すると、選挙の際の一票の価値が半減します。
投票権が一人前として扱われません。それでもよいですか?」
とアナウンスしたら、どうなるでしょうか。
結論は、それでも、東京への転入増は何ら変わらないはずです。
東京はインフラが充実していて、何かにつけ生活に便利だからです。
投票権の価値が地方の人の半分であろうとも、
東京の人は、その快適な生活を優先するのです。
私は、このブログのタイトルのテーマにもありますように、
「法律家と政治家の二つの立場」から意見を述べていくことにしています。
こうした観点からいえば、いわゆる一票の格差というのは極めて法律家的な発想であって
(この考え方自体は法律家の立場からすれば分からないことはないですが)、
これにすべて縛られるのは違うのではないかと思っています。
一票の格差の問題を論じるとき、「平等」とか「差別」とか言われます。
しかし、この問題は、少なくとも、男性には1票、女性には2票を与える、
というような明白な差別・不平等とは違うように思います。
例えば、相続の問題では、各相続人の相続分は民法で決められています。
ただ、ある一人の相続人(長男)だけが、死亡者(父)の生前に不動産の贈与を
受けていたような場合には、その不動産の価値分を差し引いて、長男が実際に
相続する額が決まっていきます。それが相続人間の公平だからです。
これと同じように、都市部には平素から社会資本が十分に投下されており、
そこに住む人たちは、様々な恩恵を受けているのです。
そのことを無視して、選挙の時だけ一票の格差を問題にするのは、
総合的な公平感覚にいささか欠けるのではないかと思ってしまいます。
いわゆる過疎地域や、社会資本の投下が十分でない地域では、
生活に不便を感じる所が多いです。
その上、人口が減少する地域だから国会議員の数も減らせばよいという発想は、
はたして正しいのでしょうか。
そこから選出される国会議員の数が減れば、その地域の意見力が弱くなるのは、
政治家をしていると容易に想定できます。
なお、誤解がないように申し上げますと、私自身は、
国会議員の定数を大幅に減らすこと自体は、あるべき姿だと考えています。
ただ、その定数削減の尺度やアプローチについて、
人口の多寡だけに基づいて決めるのは違うのではないかと言いたいのです。