今年で25周年を迎えた「わかさ生活」の社長 角谷が、従業員に話してくれる「豊かな心」になる話を毎週紹介しています!
すべては「恩返し」の気持ちで動く
わたしは、かつて兵庫県尼崎市武庫之荘という場所に住んでいました。
その時、阪神・淡路大震災という大災害を経験し、わたしの価値観は大きく変わりました。
本当に幸運なことに、わたしと家族は無事でした。
しかし、街ではデパートや家は壊れ、道路は倒壊したり亀裂が入ったりして交通網は麻痺していました。
電気・ガス・水道という生活インフラも止まり、サイレンの音や人の悲鳴や泣き声、怒鳴り声などが響くという惨状が広がっていました。
当時、わたしには妻と4歳と3歳になる娘、そして生まれたばかりの長男がいました。
そんな中、長男のミルクを与えるために必要な水がありませんでした。
手当たり次第にお願いしますが、どこも大変な状態で貴重な水を分けてくれる人はいません。
足が棒になりながらも諦める訳にはいかないと、何時間も休むことなく必死で歩き続けました。
日も暮れ始め、気持ちばかりが焦ります。
疲労が限界に達し、心が折れそうになっていると、一軒の駄菓子屋が目に入りました。
内心諦めつつも「少しでいいので水を分けてくれませんか」とお願いしてみると、駄菓子屋のご主人は理由も聞かずにペットボトルを6本も譲ってくれたのです。
損得勘定なしに、見ず知らずのわたしを助けてくれました。
この震災の時ほど、人の親切が骨身に沁みたことはありません。
それからわたしは、なにか自然災害が起こったときは、困っている人のために寄付をするようになりました。
元々、溜まった小銭を寄付する程度のことはしていましたが、今では日頃から、支援するため専用にお金を貯めて、いざという時に備えるようにしています。
また、災害時には社内のスタッフに声をかけ、有志を募って被災地に行って支援をする、ということも始めました。
2004年の新潟中越地震の時のことです。
まだ寒い季節だったので「被災地の人たちにカイロを届けたい」と考えたのですが、わたしたちの倉庫にはカイロの在庫はありません。
周囲の薬局を回って買い集めようとしても、届けたい量には全然足りません。
困った末に、カイロメーカーに直接相談をしてみたところ、70万個のカイロを用意することができました。
なんと厚意で、ほとんど原価の金額で分けてくれたのです。
70万個のカイロに、その他の支援物資も含めると、運搬する荷物は全部で40トンほどの重さになりました。
とても自分たちだけで運べる量ではありません。
すると、わたしたちの支援活動を以前から知っている物流会社が名乗りをあげてくれました。
無償で協力してくれるというのです。
さらに、前からご縁のあったタクシー会社からも「何かあったらウチのドライバーにお願いしてくれて構いません」と、ご協力をいただけることになったのです。
そして、多くの社内のスタッフが協力してくれたことで、無事に被災者一人ひとりに支援物資を手渡しで届けることができました。
「どうせ会社の知名度を上げるためだろう」「損得勘定で動いているだけではないか」などと言われたこともありました。
しかし、わたしは素直に、あの時の駄菓子屋のご主人に『恩返し』をするつもりで行動をしただけです。
人は生きている限り、毎日誰かから大きな恩や小さな恩を受けています。
そのことに感謝の気持ちを忘れず「困っている人がいたら、なぜ困っているかを聞き、それに応えるだけ」とシンプルに考えて、できることをやればいいのです。