50の手習い…今更と笑われましたが、強い自分になりたくてもう一度、英語というものにチャレンジしてみたかったのです。

当り前だけど、英語が喋れたら仕事が出来る人になるわけでもないし、英語が出来るから会社業績が伸びるわけでもありません。

18歳の手術の後遺症で半盲になり、私なりに苦しく悩み続け、そして逃げていたのが外国語(横文字)です。

私は真正面を見て右側半分が全く見えません。
原因は小学4年生のとき頭に大怪我をして以来、目の中に見えない部分が出来ました。
両親と縁が無かった私は理解してくれる人が周囲におらず、誰に話しても信じてもらえず、やがて字を読むことに不自由を覚え出しました。

今から40年前の話ですから日本語は縦書きが多く、不自由は感じるもののなんとかなりましたが、中学生から授業で始まった英語(アルファベット横文字)はどうにもなりませんでした。

英語などの外国語は横書きでアルファベットの固まりが一つの意味をなすわけですが、私には一つの固まり(単語)では無く、アルファベットがバラバラに一つずつ右側から目の中(脳の中)に見えて来るので、単語を理解したり英文を読むことが人の何倍も時間がかかります。

そして忘れもしない出来事が中学2年生の時に起こりました。
この頃、私は原因不明の頭痛が続き、半年近く入院生活を送りました。やっと退院して半年振りに学校へ行った時の英語の授業での経験が人生のトラウマとなりました。

私は授業で先生から英語文を読みなさいと言われ、本を両手に持ち立って読み出しました。しかし横文字が見えない私は自分の指で行を差しながら読んだのですが、その行為を先生に強く注意され、指差しせずに読めと言われました。
頑張ってみましたがダメでした。
吃る(失礼な表現かもしれません)ようにたどたどしく読みだした瞬間です。

教室中に聞こえる大声で「ふわあ~あぁぁぁぁ~」と大あくびをされました。教室は大爆笑です‼
「これ!竹村君」先生が注意しましたが生徒の笑いは止まりません。
「角谷君も、もういいから座りなさい」と言われましたが、体は汗でビショビショで涙が流れて流れて止まりませんでした。

竹村君は後に超有名私立高校や国立大を受験したほどのクラス1~2位の秀才です。

私はこの日をさかいに二度と人前で英語文を読むことを辞めました。
いくら先生に叱られても読みませんでした。
先生に「そんな態度をするなら英語は1しかやらん」と言われても二度と人前で英語文を読みませんでした。

そう、逃げました!
逃げ続けました。
私はすぐに逃げる弱い弱い人間です。竹村君が悪いのではありません。
病気のせいにしたり、半盲のせいにして逃げていただけです。

学生時代、私は目のことは誰にも言ってませんでした。いや社会人になっても隠し続けました。
20歳を過ぎた頃、何かに吹っ切れた私は他人に半盲のことを言えるようになりました。

英語の勉強にアメリカへ⁈
しかも会社を従業員に任せて⁇
英会話なら日本でも出来るだろ⁉

日本なら逃げちゃいます。
アメリカで、日本語が通じない人達との中でチャレンジしないと、私は逃げると思います。
だからアメリカを選びました。

約1ヵ月が過ぎました。
優しい先生もいますが、厳しい先生もいます。
ある男性の先生はいつも私の英文の読みに大声で溜息を吐きます。
毎日、毎日…
悔しいです。行きたくないです。
でも、半盲を克服するのと25年前の弱い自分との戦いです。

あのトラウマとさよならしたい…。


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英会話学校のエレベーター入口。
ちょっと怖くないですか(^_^;)

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私も毎日頑張ってます。
従業員の皆さんも壁に当たることはあるでしようが逃げずにチャレンジしてネ。