北九州でスタイリッシュテーブル茶道で
教室、イベントを行っております木本桐綾です。
お茶が伝わってから、鎌倉、室町時代に次第に武家社会にまで
浸透してくるようになってまいりました。
それにより、薬だったものが、徐々に嗜好品として飲まれるようになり
書院茶として絢爛豪華に飾った部屋でお茶を喫する会にまで発展してきました。
さらに、かけ事の対象として、行われることが繰り返されます。
遊興的になると、爆発的に流行り出しましたが、世の乱れを生むようになり
幕府によって禁止されることとなりました。
絢爛豪華に行われた茶の湯でしたが、室町時代の村田珠光により、わび茶が
創設され庶民でもお茶に親しむことができるような、わびた茶室でお茶を楽しむことが
行われるようになりました。
交易の盛んな堺の町で、庶民でも茶の湯が学べるような環境があり、
そこで生まれ育った千利休も自然と茶の湯を身につけるようになります。
そして、茶の湯を客の面前で行うための道具の整備を利休が行ったことにより
わび茶を確立させたのが千利休であるとされています。
そこから三千家というのは始まったのです。
実際は、千利休が切腹したことにより、お家断絶に陥りましたが
利休の高弟たちにより、子孫は守られ、その後許されて
お家再興を果たすことができたのです。
再び、家を潰さないように、三千家に分かれて後世に繋いでいくことが
行われ、現代まで続いております。
今では、日本だけではなく、世界中に日本文化の茶道として広まっています。
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