令和6年(2024年)1月27日号:
人生「受験英語教授」日誌:
・・・・・・ボク(井川塾長)が、
高3の時のこと
を、
ふと、思い出した。
・・・・・・代々木ゼミナールの
代々木校(当時)に、
放課後、
週2回、通い始めていた。
・・・・・・まだ、
この頃は、
「理系」であり、
「慶應大学の数学科」を第一志望
として、
「高校の教諭を本職として生計を
立てるという人生設計
(★ライフデザイン)」を、掲げていた。
・・・・・・そう決めるに至った
2つの理由は、
★「人に話し、教えることが、得意で、
大好きであったこと。」
(★我がお袋さんが小学校教諭で、
父兄から「聖人」並みに慕われて
いたことからも、学んでいた。。。。)
★「算数」「数学」以外には、得意
科目が、なかったこと。
・・・・・・ところが、
▲高3になって「数学Ⅲ」で、やや
行き詰まりの「感」を覚える
ようになってきたので、
★クラスメートの「開成で一番できる
連中」に、放課後に、「1~2題」
を、教えてもらうようになった。
(★お返しに、ボクは、
「インベーダーゲームの攻略法」
を、教えたりしていたこともあった。)
・・・・・・しかし、
▲友達に少し教えてもらうだけでは、
「不十分」となっていった。。。。
★だれか、個人的に、「質問に、一つ
ひとつ、答えてくださる先生」は、
いないかなぁ(?)
・・・・・・そう思った矢先に、
通い始めた代ゼミで「数学の講義」
を受けていた田島稔先生の顔
が、浮かんだ。
・・・・・・(当時)恐る恐る、
(当時の)代ゼミのオープンドア
の講師室を、訪ねると、
田島先生は、
▲「君の質問は、質問以前の問題
であり、まずは、自分で、しっかりと
考えてみなさい」といった趣旨
のアドバイスをくださった。
・・・・・・それでも、
・・・・・・ボクは、
▲何とか、週1回でも「ボクの個人的な
質問に答えて
いただけないでしょうか(?)
うちの母親が、月謝(謝礼)をお支払い
したいと、言っておりますので。。。。
・・・・・・こんな「対話」をした覚え
がある。
・・・・・・ところが、
田島先生は、
●「忙しいので、責任が持てないから、
引き受けられない」
といった趣旨のことを、おっしゃった
のだった。
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・・・・・・以上のような「想い出」
が、
急に、蘇った。
・・・・・・それは、今日、
はじめて、
◆「大宮開成高校3年生」
の親子
という方々から「電話相談」を受け、
・・・・・・自分(井川塾長)の高3時代
が、思い浮かんだからだ。
・・・・・・ボクは「開成」で、
・・・・・・彼は「大宮開成」
というのも「偶然の一致(?)」
であるし。。。。
その高3生が、
★ボク(井川治久)の著書を購入した
と言うので、
◆「我が著書(受験英語の参考書)
の使い方」
を、話しておいた。
・・・・・・そうして、
我が塾(井川塾)に通いたいという
「親子の希望」だったのだが、
★2024年現在は「週3日」しか、
教える日を、設けていない。
(★我が余生の時間も「59を越えて」
短くなり?、
「週4日」は「教えない日」
と決めたのである。)
・・・・・・しかも、
★ボクは「授業準備」を「徹底的に
やってからでないと、教室には、行か
ない主義」で、これを、
39年間も
「守っている」ので。
・・・・・・つまり、
▲今の生徒が「やめた時」にしか、
別の生徒を引き受けられない
といった趣旨の
★「ホンネの正直な御話」
を、伝えた。
(上述の)懐かしい田島 大先生
と同じで、
★「責任の持てない事は、ムリして、引き
受けない主義」
なのです。
・・・・・・我が人生で、
・・・・・・唯一の自慢は、
・・・・・・「★教える英文」
に関してだけは、
★「授業準備(受験英語研究)をせずに、
教壇に立ったことは、
39年間、一度もないので、
生徒は、常に、最上の演習授業を
受けてきた」
ということです。
★「文法家」
として、当たり前の事ですが、
★「今までに、教えた英文は、全文を、
分析済み」です。
・・・・・・そうして、
★「分析すること」によって「自分の
教えている英文法(★「井川英文法」)
が、「英文にちゃんと当てはまるか」
を、
毎度「検査」しているわけです。
★早大英文科で「英語学」を専攻したボク(井川治久)が唯一「文法家」として自慢できることは、これだけです。
(話者・・・・・・塾長:井川治久。開成高校OB。早大英文科OB。生まれた地元、豊島区にて。)
TOKYO,JAPAN
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